異世界で、英雄譚をはじめましょう。

巫夏希

第二百九十三話 聖戦、東京③

 整備場には一台の戦闘機が飛び回る時を待っていた。

「……東京上空に巨大生物? ゴジラやウルトラマンじゃあるまいし、そんなことが現実に有り得るのか?」

 戦闘機に乗り込むであろうパイロットはペットボトルの炭酸飲料を飲みながら、そう軽口を叩いた。

「空を飛ぶなら、ゴジラじゃなくてモスラじゃないっすか? ……まあ、それはそれとして。ただ浮いているだけならまだしも、放射能を吐き出しているらしいっすよ。もしかしたら、体内で核かそれに近い何かを生み出しているんじゃないか、ってのがもっぱらの噂っす」

 タオルを首に巻いたメガネをかけた青年は、青色の缶飲料――エナジードリンクを飲み干す。
 パイロットは深い溜息を吐いた後、ゆっくりと戦闘機へと乗り込んでいく。
 エナジードリンクを持った青年は、ちょうどそこにやってきたもう一人の人間を見ながら、首を傾げる。

「遅いっすよ、柊木さん。どうかしたんすか?」
「……ああ、済まなかったな。ちょっと野暮用でな」

 そうして柊木と呼ばれた男はせかせかと中へ入っていった。
 後部座席に乗り込んだタイミングで、パイロットは嘯く。

「……にしても、巨大生物か。何ともファンタジーな話だとは思わないか」
「そうかい? そもそも俺にはそんな話、信じられないし信用もしていないがな」

 戦闘機に乗り込んだ二人は、そんなことを話しながら、出発準備を進めていた。
 パイロットは様々なものを指差しつつ、出発前の最終確認を取っていた。

「計器よし、シートベルトよし。……こんなもんか?」
「神への祈りは?」
「生憎無宗教でね。お前は?」
「俺もだ」

 深い溜息を吐いて、ヘルメットを被る。
 パイロットが、エンジンを起動し――やがてゆっくりと戦闘機は動き始めた。

「……ま。巨大生物がどんなものか物見遊山でもしようぜ、相棒」
「お前を相棒とした覚えはないぞ」
「つれないねえ」
「そんなもんだろ」

 そして、戦闘機は空へと飛び立っていった。
 飛び立った戦闘機は一機だけではなかった。全国各地、様々な場所から戦闘機が首都である東京目掛けて飛び立っていった。
 目的は、突如現れた謎の巨大生物の殲滅。
 しかしながら、自衛隊員は皆感じていた。
 その巨大生物が、ほんとうに我々の力で倒すことができるのかという不安を。
 その巨大生物が、どんな攻撃を仕掛けてくるかわからないという恐怖を。

「……しかしまあ、やはり怖いものだな」

 それは、東京近郊の基地から飛び立ったあの二人も同じだった。
 御影秀敏。自衛隊員として、正直なところ飛び出た才能や技能はない。五段階評価で常に三または四を取る男だと称されている。
 御影は鳥肌が立っていた。得体の知れない恐怖に。自分の乗る戦闘機への不安に。地上に残した家族への心配に。
 国を守る仕事とはいえ、まさか国内に突然現れた敵の殲滅など想定しているはずもない。
 結果的に、この戦いは初めての試みと言えるだろう。実戦を試みと言って良いのかはまた、別の話になるが。

「何が? まさかお前ほどの男が、得体の知れない謎の巨大生物に怖気付いたなんて言わないだろうね?」

 柊木夢月。
 彼もまた自衛隊員の一員であり、御影と同様平々凡々な存在であるといえるだろう。

「……分かっているよ、柊木。だがな、やはり怖いものは怖いよ。幾ら怖くないと取り繕うとしたって難しいものは難しい」
「でも、それをなんとかするのが我々の仕事だ。そうだろう?」
「それはそうかもしれないが……」

 柊木は視線を前方から移し始める。

「ほうら、そろそろ見えてきたぞ。あれが噂の……巨大生物か。それにしても化け物だな、まったく」
「それはそうだが、しかしてどうやって倒すつもりかねえ、司令官様は」
「さあ?」

 柊木は首を傾げ、御影の言葉に答えた。

「さあ、って……」
「だって分からないものは分からないじゃないか。司令官様には司令官様なりの考えがあるんじゃないの。下々には分からない考え方が……」
「ま、それもそうか。別に俺たちが考えているわけじゃねえからな、作戦を。所詮は右向け右のやり方だ」

 皮肉交じりに柊木がそう告げると、巨大生物をじろじろと眺めながら、

「……にしても、司令官様はあれをどうやって倒すつもりなのかね、やっぱり気になるところではあるが。見たところ、普通の兵器は効きそうに無いけれど」
「それをどうにかする作戦を考えるのが上で、それをどうにか実行するのが俺たちだ。いつもそうだっただろ? 今回もそうするだけさ」

 悲観する柊木に対して、御影は冷静を保っている。

「そうであればいいけれどねえ……。ん?」
「どうした?」

 柊木の言葉に、御影は目線だけを横に移す。

「……いや、気のせいか。あの巨大生物の傍に浮遊する物体があったような気がしてな。飛行機にしては小さいし、人にしては大きすぎるし」
「浮遊物体? まさか。今、あの物体は立ち入り禁止だし、もし考えられるとしたら……」
「あの生物と一緒にやってきた?」

 となると、あの生物のことを何か知っているかもしれない。
 あの生物を倒す打開策を見出せるかもしれない。

「今、変なことを考えなかったか?」

 柊木の思考を制したのは御影だった。
 御影は戦闘機の操縦桿を傾けながら、

「確かにあの浮遊物体に近づいて確認をするのは良いアイデアかもしれない。だが、その浮遊物体が味方である保証はないし、あんなに近くまで行ったらもろにあの巨大生物の攻撃を食らいかねない。一応、今は一度も攻撃をしていないとはいえ、だ。そこは警戒しておく必要があるのは、当然のことだろう?」
「それは……」

 御影の言い分も尤もだった。
 いや、寧ろ今は御影の言い分を適用するしか無いと言ってもいいだろう。この状況をエスカレーションしても良いだろうが、おそらく返答は同じ或いは近しいものになるはずだ。
 ただ、あの浮遊物体は彼の中で気になっているものとしてずっと残り続けていた。
 出来ることならそれを明らかにしておきたかったが、彼は組織の人間だ。個人の意思を尊重し続けていれば、やがてその影響は組織に波及する。
 その影響を分かっていたからこそ、柊木はもう一歩踏み出すことが出来なかった。
 恐らく彼がそんなことを考えない無鉄砲な性格ならば、そのまま踏み出していたかもしれない。或いは戦闘機の操縦を行っていれば、相手の言い分など聞くことなく、無理矢理に向かっていることもあっただろう。
 しかし、彼はその点に関しては慎重な性格だった。
 だから、御影の否定を素直に受け取ることが出来たし、それ以上進むことも無かった。彼が戦闘機の操縦をしていなかったことも一因と言えるだろう。

「……まあ、とにかく上の指示を待つことにしよう。上はまだ何も言っていなかったよな?」
「ああ。確か、巨大生物まで向かって待機していろ、って言っていたはずだ」

 上――つまり司令官の指示は単純明快なものだった。
 巨大生物に出来る限り近づいて、攻撃のチャンスを伺う。
 それは今東京に向かっているすべての戦闘機に命じられているものであり、先んじて攻撃することはいまのところ許されていない。
 首都である東京がこのような惨状になっていても、だ。

「……それにしても、戦争は起きないと思っていたけれど、まさかこんな訳の分からないものがやってくるなんてな。もしかしたらさっきも言ったかもしれんが、ファンタジーの領域だよな。確かこの国ってファンタジーに関わる部署がどこかに存在していなかったか?」

 余裕が出てきたのか、御影は軽口を叩き始める。
 柊木もその噂は聞いたことがあったのか、軽く頷きながら彼の言葉に答えた。

「ああ。確か、宮内庁にあったって話だろ。……でもあれって、どちらかというとオカルトめいたほうの部署って聞いたことがあるけれど」
「へえ。詳しいんだな、柊木。もしかして、有名だった?」
「……風の噂で聞いただけだよ」

 柊木と御影の会話は唐突に終了する。
 今はただ、上からの命令が来るのを今か今かと待ち構えるだけに過ぎなかった。
 巨大生物――彼らは知るよしも無いが、その名前はオリジナルフォーズと言う――は、今も東京の上空を不気味に浮遊しているのだった。

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