異世界で、英雄譚をはじめましょう。

巫夏希

第百二十五話 一万年前の君へ④

「サリー・シノキス。逃げ足が速かったからここにはやってこないものだと思っていたよ」

 地面に着地したバルト・イルファはそう言って、ニヒルな笑みを浮かべる。
 それを見た僕はサリー先生に問いかける。

「逃げ足が速い、って……。そんなことは無いですよ、ね? バルト・イルファの言っていることは真っ赤なウソ、ですよね」
「そうだぞ、バルト・イルファ! 何を根拠にそんなことを言っているんだ。サリー先生は立派な、僕たちの先生だ!」

 それを聞いたバルト・イルファは舌なめずり一つ。

「ふうん……。だったら別にそれでもいいけれど。それにしても、少々間違いを孕んでいるように見えるけれどねえ……、そこにいるサリー・シノキスは何も言わないようだけれど、どうやらそれを隠したいのかな。サリー・シノキス。君はずっと逃げ続けていたじゃないか。十年前のあの時も、そして、この前のラドーム学院が僕たちに襲撃された時も」
「ラドーム学院が……襲撃?」

 僕たちはそれを聞いて目を丸くした。
 対して、サリー先生は僕たちから目をそむけるように、バルト・イルファに目線を向ける。

「バルト・イルファ、戦力を分散させようとしてもそうはいかないわよ……!」
「はてさて、どうかな? そう思っていても、君のかわいい生徒はどう思っているのだろうね?」
「……それはっ……!」
「サリー先生、本当なのですか?」

 言ったのは、ルーシーだった。
 僕は何も言えなかった。そして、メアリーも同じだった。メアリーもまた俯いたまま、何も言えなかった。
 サリー先生はルーシーの表情を見て答えるしか無かったのか――小さく頷いたのち、

「ええ、そのとおりよ。フル、メアリー、ルーシー。バルト・イルファのいう通り、ラドーム学院は彼らに襲撃されて敵の軍門に落ちました。いや、正確にはそうではないわね。落ちたのは間違いないけれど、彼らは誰一人として生かすことはしなかった。そこに居た全員が、殺された。生き残ったのは……私だけ」
「そんな……。ラドーム学院が滅ぼされたっていうんですか! 先生たちもみな……」
「ええ。そして、私は逃げた。惨めかもしれないけれど、私は生き延びた」
「戦うこともせず、逃げ続けたのだよ」

 バルト・イルファは話を続けた。
 もう耳を塞ぎたかったけれど、恐らくそんなことは彼には関係なかったことだろう。

「サリー・シノキスはいつも逃げていた……。彼女は弱い人間だったからね。知っているかどうかは知らないけれど、彼女はかつてある組織に所属していた。僕たちの組織、魔法科学組織『シグナル』に……」

 それを聞いた僕たちは、驚きを隠すことは出来なかった。
 対して、サリー先生はずっと俯いたままだ。

「彼女はある研究をしていた。人が触れてはならない、禁忌の術。その名前は……『分解錬金術』。ふつう、何かを構成することが主たる術になっているのだけれど、分解錬金術は名前の通り、分解することを目的とした術だ。そんなことは人間には出来ない。まあ、錬金術自体若干触れているところがあるかもしれないけれど……、はっきり言って分解のほうがずば抜けているだろう。人間を、その構成要素一つ一つに分解できる錬金術、それを簡単に放つことが出来るとしたら?」
「……それを?」
「ええ。私が研究していた。あの頃は……、正直言って自分でも何をしているのか解らなかった。ただ自分の興味の延長線上に、支援をしてくれるところがあったから、そこで協力していただけ。あの頃は、まさかそんなことになるとは思いもしなかったけれどね……」

 サリー先生は落ち着いた様子で、僕たちに語り掛ける。
 バルト・イルファはそれをニヒルな笑みで見つめていた。

「……別に騙そうとか嘘を吐こうとか、そんなつもりは無かったのよ? ただ、私は、ずっと……神様に逆らっていたことを、謝罪し続けていた。色々とあって……シグナルを逃げ出した。そして私は、ラドーム校長の斡旋があってラドーム学院に入ることになったのよ」
「結論として……、サリー・シノキスは結局逃げ続けた人生だったということだよ。弱虫だ。君たちがずっと慕っていた先生は」
「違う、違うわ!」
「サリー先生は……弱虫なんかじゃない」

 サリー先生の声をかき消すように、僕は声を出した。
 バルト・イルファは首を傾げて、深い溜息。

「予言の勇者よ。信じたくない気持ちは解らないでもない。けれど、これは真実だ。紛れもない真実だよ。それを受け入れたくない気持ちも充分に理解できる。だけれど、信じることも大事ではないかな?」
「違う……。僕は、僕たちはとっくにそれを受け入れているよ。信じているよ。けれど、そんなことじゃない。僕たちが見ていたサリー先生は、決して弱虫じゃない。決して臆病じゃない! 優しくて、とても強い、いつも僕たちの味方をしていたサリー先生だ!!」

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品