一兵士では終わらない異世界ライフ
信じる者
〈トーラの町・領主邸〉
グレーシュが去った後の一室には、クロロとフォセリオ……そしてアリステリアだけが残っていた。
アルメイサとワードンマは先に宿に戻ると言って去り、ギルダブは女性だけの空間となったこの一室に自分一人だけ男だったことで肩身が狭かったのだろう……。
残った三人は、アリステリアの侍女のアンナが淹れた紅茶を口に含みつつ、ついでとばかりに用意されたお菓子なんかも食べて談笑していた。
「なんだか……すみません。いただいてしまって」
クロロはあまりこういったことに慣れていないのか幾分か申し訳なさそうだ。
そこにフォセリオがフッとした笑みを浮かべて言った。
「気にしないでいいのよ、こういうのは……。それに、貴族のところにあるお菓子なんて大抵が客人用なんだから食べなきゃ逆に失礼よ」
「それはわたくしが本来なら言うべきことですのに……まあ、いいですけれど」
アリステリアは言いながら、紅茶を美しい所作で口にし、カップを置いた。
「そういえば、わたくしフォセリオ様の恋話などお聞きしたいのですが?」
「……?な、何故かしら?」
「ほら……年長者ですし」
アリステリアが言うと、フォセリオは自分の隣に座ってお菓子を食べていたクロロにも目をやった。
「それを言うなら『月光』もそうじゃないの」
「えっ」
いきなり話題を吹っかけられていたクロロは、初めて食べた甘いお菓子に夢中になっていた所為で思わず素っ頓狂な声を上げた。
「なによ、その反応は?あの子とか違うの?グレーシュ・エフォンス」
フォセリオがその名前を出すと、アリステリアが食いつき気味に目を輝かせた。
それで、「うっ」と言葉を詰まらせたクロロは暫く唸った末に答えた。
「えっと……グレイくんは背中を預けられる戦友という感じでしょうか。その……すす好きですけど恋愛感情ではありません」
何故か『好き』という部分だけ顔を赤くし、その後は真顔で言うという器用なことをしたクロロにアリステリアとフォセリオは苦笑を溢した。
ふと、フォセリオは自分がグレーシュを初めて大通りで見たときのことを思い出した。
「あの子って、一体何者なの?達人なの?あまり達人独特の威圧感が感じられないから……」
しかし、ヒャクジュウオウの戦いを見ていたフォセリオは圧倒的な錬成速度と剣術を見ていた。
大気を震わせる豪剣……『月光』に勝るとも劣らないと思えるような一振り……だが、クロロは首を横に振った。
「グレイくんは剣術の達人ではありません。技術はありますが……経験でしょうかね。彼は弓の方が強いですから」
「では、弓術の達人なのかしら?」
フォセリオが再度尋ねる……が、これもクロロは首を横に振った。だが、これは先ほどとは違ってグレーシュが達人の域に達していないという否定の意味ではなかった。
「分かりません……グレイくんは自分からそう言っていませんでした。私の見立てでは、限りなくその域にはいるかと思いますが……」
クロロはそう言って肩を竦めた。
それを聞いたフォセリオは何か思うところがあるのか、ふと紅茶を口にした。
「で、フォセリオ様の初恋っていつですの?」
「ぶっ」
アリステリアのフォセリオへの口撃は止まないようだ……それから暫く、夜が耽ってくるころまで女子会もどきは続いた。
〈グレーシュ・エフォンス〉
「ただいーま」
と、俺は変なイントネーションを付けて帰宅した有無を伝えるためにそう言った。
扉を開けて入ると、既にテーブルには夕飯が作り上がっており、それはお皿に綺麗に盛られている。もちろん、木皿だ。
相変わらずの山菜に加えて、スープにお肉……あとは小麦のパンか。
「おかえりー」
「おかえりなさい。もうご飯できてるよ?」
ソニア姉とラエラ母さんが椅子に座ったまま、俺の方を見て口々に言った。
「うん。ありがとう」
待っていてくれて……という意味合いも込めて言った俺は、これ以上待たせるのも忍びなかったので直ぐにテーブルにつくと早速食べ始めた。
ふと、床からテーブルへヒョイっと飛び上がってきたユーリが俺のスープをペロリと舐めた。
「あ、てめぇ……」
スープのお皿をユーリから遠ざけると、ユーリは不満げに、「ふしゃー」と鳴いた。
可愛子ぶりやがって……ぶりっ子!
俺は内心で毒づきながら、小麦パンをスープに浸して口に含む。それをユーリは暫く恨めしそうに眺めつつ、ふとラエラ母さんとソニア姉の目を盗んでバイオキャットの本性を剥き出しに、可愛い猫の皮を破って顔がパックリ裂けた。テレビだったら確実に規制が入るレベルのグロテスク……俺は完全に顔が裂ける前にユーリの顔を掴み、開けないようにしてやった。
これは動物愛護の人達に叩かれそう……主にソニア姉に。
俺は顔を掴んだまま、空いている方の手でユーリの首根っこを摘まんで床に戻して手を離した。
テーブルが影になってラエラ母さんやソニア姉に見えないのを良いことに、俺が手を離した瞬間にユーリは顔を完全に開いて中から触手をウネウネと伸ばしてきた。
俺は伸びてきた触手を左手で弾く。その全てを左手で捌きながら、俺は食事をとる。
「はぁ……」
俺は溜息を吐き、面倒になったので触手を掴んだ。
「ん?どうしたの?」
「なんでもないよ」
ラエラ母さんが不思議そうに首を傾げたので、俺は笑って答えた。
そのまま食事を終えた後……俺はお茶をすすって一息ついてから、例の話題を振った。
「少し話があるんだけど……」
「んー?」
同じようにお茶をすすっていた二人は、俺の言葉に耳を傾けた。それを見て、俺はうむと頷いてから夕方に領主邸でのアリステリア様の提案を二人に話した。
その間もギチギチとテーブルの……水面下にてユーリと俺の争いは続いている。
ちょっとぉー?かなり厄介なんですどこの子!飼い主は誰かしらね!?
ソニア姉でした……orz
「それでアリステリア様からかくかくしかじかで……だから、王都へ行くついでに護衛をお願いしたいってことなんだ。報酬も出るし、路銀も負担してくれるみたいだから悪くないと思うんだけど」
俺が説明し終えてから、ソニア姉が、「なーるほど」と独特なイントネーションで呟いて頷いた。
それから暫く……ソニア姉は目をクワっと見開き、俺に掴みかかる勢いで詰め寄った。
「そ、それ本当!?あのラエトエル様にお近づきできるってことだよね!?ね!?」
「あ、あぉーうん。多分」 
俺は上体を反らして、興奮気味のソニア姉と距離を置こうとするのだが、なぜか開けた分の距離をソニア姉はさらに詰め寄って埋めた。
近い近い近い……。
「やったぁ!断らない理由はないよね。お母さんもそれでいいよね!?」
「うん。いいんじゃない〜もうなんでも〜」
ラエラ母さん……ユーリの時もそうだったけど適当……。
俺は軽く溜息を吐いてから、二人に言い聞かせるように言った。
「本当にいいの?王都までの道中には一つ霊脈があるし……今は霊脈の近くは危ないんだよ?」
俺は危険であることを指摘する。それでも、ソニア姉は不安な色を一つも見せることなく満面の笑みで言った。
「大丈夫だよ。私たちが危ないときはグレーシュがいるからね」
………………。
「……確かに。うん、じゃあいっか」
何を俺は心配していたのだろう……危うく自分が何のために強くなったのかを忘れるところだった。
俺が強くなったのは他でもない、ソニア姉とラエラ母さんを守ることの筈だ。二人の行動を制限するためではない……。
俺は一つ咳を払い、ついでにユーリも払い除けて椅子から立ち上がって胸をドーンっと張った。
「二人は僕が守るからね!安心して!」
「うん。頼りにしてるよ」
ラエラ母さんは優しい笑みを浮かべて、胸を張る俺に言った。
あぁ……そういえば、と俺は王都からはどんな返事が返ってきたのかソニア姉に尋ねた。
ソニア姉は、「おぉ!」と声を上げて懐から紙を取り出して開いた。
「ちょうど今日、仕事場に届いたんだけど……内容は『歓迎する』っていうくらいだよ」
俺はソニア姉が見せた紙を見て、確かにその通りであると見て取った。 
「ふむ……じゃあ、明日になったら僕が領主邸でこれからの日程を聞いてくるから……二人はここを離れる準備をしておいてよ」
「あぁーうん……そうだね。うん……」
ふと、興奮気味だったソニア姉は急にしおらしくなり、寂しそうに家の中を見回した。離れるのが寂しいのだろう。
俺はそんなソニア姉に対して、どうやって接するべきか考えあぐねて……ポンポンとソニア姉の頭に手を置いた。
ソニア姉は少しだけ俺を見ると、不満そうにムスッと口を尖らせた。
「あたしの方がお姉さんなのに……グレイはこの五年であたしよりも背が伸びたね」
「何?今更」
俺は帰ってきてから一週間ほど経っているいるというのに……と、ソニア姉の頭をもう一度撫でる。
確かに……五年前は俺の方が背が低かった。こうするには手を上に持っていかなければ出来なかっただろうが、今ではそうする必要もない。
そんな俺たち姉弟の仲睦まじい光景を傍らで眺めていたラエラ母さんは、「うふふ」と笑いながらそっと目線を俺たちから外すと、部屋の隅に立てかけてある一本の剣に目をやった。
父さんみたいな……家族を身体を張って守る立派な兵士になると決めてからどれくらい経ったか……俺の夢は始まったばかり。
二度と前世の失敗はしないと心に刻んだ二度目の人生は果たして、今の今まで間違わずに歩むことが出来ただろうか。俺はまだ、二度目の人生の中でそれを確認する術を持っていないけれど……まあ、ソニア姉やラエラ母さんが幸せそうならいいかね。
俺は未だにムスッとしているソニア姉の頭の上に、俺の手の代わりにユーリを乗っけた。それでさっきまで暴れていたユーリは大人しくなり、気持ちよさそうにソニア姉の頭の上で、「にゃー」と鳴いた。
だが、ソニア姉はムスッとしたままで口を開いた。
「生意気……昔はもっと可愛かった」
「高校生の母親みたいなことを……」
なんで親というのは皆同じことをいうのだろうか……、「昔はあんなに」とか「小学校の頃は」などと言う。
別に今でも可愛いだろ。ソニア姉とか。
ふと、ソニア姉が首を傾げていることに気が付いて俺は、自分の失言が気が付いた。
「あぁ……うん。気にしないで」
「……?」
ソニア姉は不思議そうにさらに首を傾げる。高校生なんて……この世界の人たちには縁のない単語だったよな……。
こっちに来てから十六年も経つというのに、俺の前世の記憶は明確に思い出すことができる。
それがどういうことか分からないが……もしかすると、俺の人格に関わることだから忘れることが出来ないのかもしれない。まあ……前世のことは俺の反面教師となるわけだからな。あることに越したことはない。
「じゃあ、今日はもう寝ようか」
俺が言うと、ソニア姉は頭の上のユーリを両手で落ちないように抑えて笑顔で頷いた。
「うん。今日も真ん中はあたしだから!」
「はいはい」
「ふふ。それじゃあ、お布団敷いちゃいましょうか」
「僕が敷いておくよ」
ラエラ母さんは、「それじゃあお願いね」と言うと夕食の洗い物を……ソニア姉は何かやることを探したが特に無かったようで俺と布団を敷いて、直ぐに真ん中の布団に飛び込み、ゴロゴロとユーリと遊び出した。
仰向けになりながら、ユーリを両手で掲げてソニア姉は楽しそうにしている。
「にゃーにゃー」
「にゃーん」
果たして、どちらの鳴き声なのだろうか……傍らでそれを見ていた俺は苦笑しながらそんなことを思った。
そこに後片付けを済ませたラエラ母さんが寝室へ入ってくるや否や、厳しい口調……しかし優しげな表情でゴロゴロとユーリと遊ぶソニア姉を叱責した。
「こら、ソニー?布団が毛だらけになっちゃうでしょ?」
「うぅっ……ごめんなさい」
ソニア姉はシュンとなり、肩を窄めてラエラ母さんに謝った。ユーリもそれを真似るように小さくなっている。
俺はそれを見ながら、さらに苦笑した……。
※
翌日……二回半ほどの鐘が鳴った時、俺は領主邸の一室で神聖教最高神官であるフォセリオ・ライトエルと今後の日程について話し合っていた。
「…………という感じよ。昨日の内に『月光』には話しておいてあるから……。えっと、他に何か聞きたいことはある?」
俺は一通りの説明を受けてから、フォセリオにそう言われて首を横に振った。
「そう、それならいいわ。王都までの五日間……宜しく頼むわよ」
「ええ。こちらこそ、宜しくお願いします」
俺とフォセリオはお互いに手を差し出すと、その手を取り合った。
と……、
「……ふうん。やっぱり、男の人の手というのは大きいものなのね」
「へ?」
俺は突然フォセリオが何を言い出したのか理解出来ず、素っ頓狂な声を上げた。
いや、本当に何言ってんだ?
「えっと……」
俺はどうするべきか困っていると、フォセリオは構わずに握っている俺の手を広げて握手から、手のひらを重ね合わせるようにし、興味深そうに言った。
「ゴツゴツして硬い……男の人って不思議ね」
そう言いながらフォセリオは手を離すと、暫く自分の手を開け閉めして見つめていた。
本当に何なのだろう……。
と、俺が訝しげな目でフォセリオを見ていたのに気付いたのかフォセリオは、手を前でヒラヒラと振って、自嘲気味に笑いつつも口を開いた。
「あぁ……ごめんなさいね?その……ほら、私って最高神官でしょう?普通の神官と違って待遇というか……扱いがウンザリするくらい固いのよ。本当はもっと信徒の人と関わったりしたいのに出来ない……。それでね?男の人の手を取ったのは初めてだったから、ちょっと……興奮したというか」 
妙に頬を赤らめたフォセリオの態度に、俺は何だか卑猥に聞こえてしまい目を逸らした。少し後ろめたい……。
「あーこの後、何もなければ少し話さないかしら?私、暇でちょっと話し相手が欲しいのよ」
俺は特にこの後何もないし、断る理由もないしで頷いた。
にしても……最高神官っていっても暇なんだなぁ……こうして霊脈調査なんかしてるからもっと忙しいのかとも思ってたけど。本当に暇らしい……。
「それで、何をお話ししましょうか」
俺が切り出すと、フォセリオは少し間を空けて思考を巡らせてから口を開いた。
「そうね……じゃあ、貴方のことを聞かせてくれるかしら。貴方は神聖教徒?」
「いえ……まあ一応は神聖教徒ですね」
「ふうん?じゃあ、神は信じている?」
俺はそのフォセリオの質問に対して、愚問だな……と言いたいところだったがグッと堪えた。
「……信じていますよ。そりゃあもう心の底から」
何だったら信じ過ぎて発狂するレベルである。
「へー?誰を信仰しているの?神聖教は多神教とは言え……やっぱり信じている神様は一人でしょう?ちなみに、私は生命の神バニッシュベルト様かしらね」
バニッシュベルト……聖光教という一神教の宗派が崇める四大神の一角か。
俺はうーんと唸ってから答えた。
「僕は……いえ、僕もバニッシュベルトでしょうか。生命を司る神……生死に何かと縁があるので」
「へー。私は単純に、私たちを創ってくれたからってことだけどね」
フォセリオはそう言って窓の外を眺めた。
ここで説明しておくと……バニッシュベルト帝国は生死の神であるバニッシュベルトを信仰する聖光教を国教とした国であり、国の名前に神の名前が使われるのは珍しいことではない。
その名前を捩ったりした国などもあるくらいで、この世界で宗教というのはそれだけ根付いている。
まあ、何でもいいけど……と俺もフォセリオと同じように日差しが差し込む窓へ視線を向ける。
俺は神を信じる。俺が転生できたのは間違いなく神様のお陰なのだから。
あの神様が四大神のうちの一人なのか、もしくは全く別の神様なのかは知らないが……俺はあのモザイクの神様を信じている。あの暖かな感覚を俺は今でも鮮明に思い出す。
神聖教の最高神官か……ここで会ったのも神様のご縁なのかもしれない。
ふと、そんなことを考えた。
グレーシュが去った後の一室には、クロロとフォセリオ……そしてアリステリアだけが残っていた。
アルメイサとワードンマは先に宿に戻ると言って去り、ギルダブは女性だけの空間となったこの一室に自分一人だけ男だったことで肩身が狭かったのだろう……。
残った三人は、アリステリアの侍女のアンナが淹れた紅茶を口に含みつつ、ついでとばかりに用意されたお菓子なんかも食べて談笑していた。
「なんだか……すみません。いただいてしまって」
クロロはあまりこういったことに慣れていないのか幾分か申し訳なさそうだ。
そこにフォセリオがフッとした笑みを浮かべて言った。
「気にしないでいいのよ、こういうのは……。それに、貴族のところにあるお菓子なんて大抵が客人用なんだから食べなきゃ逆に失礼よ」
「それはわたくしが本来なら言うべきことですのに……まあ、いいですけれど」
アリステリアは言いながら、紅茶を美しい所作で口にし、カップを置いた。
「そういえば、わたくしフォセリオ様の恋話などお聞きしたいのですが?」
「……?な、何故かしら?」
「ほら……年長者ですし」
アリステリアが言うと、フォセリオは自分の隣に座ってお菓子を食べていたクロロにも目をやった。
「それを言うなら『月光』もそうじゃないの」
「えっ」
いきなり話題を吹っかけられていたクロロは、初めて食べた甘いお菓子に夢中になっていた所為で思わず素っ頓狂な声を上げた。
「なによ、その反応は?あの子とか違うの?グレーシュ・エフォンス」
フォセリオがその名前を出すと、アリステリアが食いつき気味に目を輝かせた。
それで、「うっ」と言葉を詰まらせたクロロは暫く唸った末に答えた。
「えっと……グレイくんは背中を預けられる戦友という感じでしょうか。その……すす好きですけど恋愛感情ではありません」
何故か『好き』という部分だけ顔を赤くし、その後は真顔で言うという器用なことをしたクロロにアリステリアとフォセリオは苦笑を溢した。
ふと、フォセリオは自分がグレーシュを初めて大通りで見たときのことを思い出した。
「あの子って、一体何者なの?達人なの?あまり達人独特の威圧感が感じられないから……」
しかし、ヒャクジュウオウの戦いを見ていたフォセリオは圧倒的な錬成速度と剣術を見ていた。
大気を震わせる豪剣……『月光』に勝るとも劣らないと思えるような一振り……だが、クロロは首を横に振った。
「グレイくんは剣術の達人ではありません。技術はありますが……経験でしょうかね。彼は弓の方が強いですから」
「では、弓術の達人なのかしら?」
フォセリオが再度尋ねる……が、これもクロロは首を横に振った。だが、これは先ほどとは違ってグレーシュが達人の域に達していないという否定の意味ではなかった。
「分かりません……グレイくんは自分からそう言っていませんでした。私の見立てでは、限りなくその域にはいるかと思いますが……」
クロロはそう言って肩を竦めた。
それを聞いたフォセリオは何か思うところがあるのか、ふと紅茶を口にした。
「で、フォセリオ様の初恋っていつですの?」
「ぶっ」
アリステリアのフォセリオへの口撃は止まないようだ……それから暫く、夜が耽ってくるころまで女子会もどきは続いた。
〈グレーシュ・エフォンス〉
「ただいーま」
と、俺は変なイントネーションを付けて帰宅した有無を伝えるためにそう言った。
扉を開けて入ると、既にテーブルには夕飯が作り上がっており、それはお皿に綺麗に盛られている。もちろん、木皿だ。
相変わらずの山菜に加えて、スープにお肉……あとは小麦のパンか。
「おかえりー」
「おかえりなさい。もうご飯できてるよ?」
ソニア姉とラエラ母さんが椅子に座ったまま、俺の方を見て口々に言った。
「うん。ありがとう」
待っていてくれて……という意味合いも込めて言った俺は、これ以上待たせるのも忍びなかったので直ぐにテーブルにつくと早速食べ始めた。
ふと、床からテーブルへヒョイっと飛び上がってきたユーリが俺のスープをペロリと舐めた。
「あ、てめぇ……」
スープのお皿をユーリから遠ざけると、ユーリは不満げに、「ふしゃー」と鳴いた。
可愛子ぶりやがって……ぶりっ子!
俺は内心で毒づきながら、小麦パンをスープに浸して口に含む。それをユーリは暫く恨めしそうに眺めつつ、ふとラエラ母さんとソニア姉の目を盗んでバイオキャットの本性を剥き出しに、可愛い猫の皮を破って顔がパックリ裂けた。テレビだったら確実に規制が入るレベルのグロテスク……俺は完全に顔が裂ける前にユーリの顔を掴み、開けないようにしてやった。
これは動物愛護の人達に叩かれそう……主にソニア姉に。
俺は顔を掴んだまま、空いている方の手でユーリの首根っこを摘まんで床に戻して手を離した。
テーブルが影になってラエラ母さんやソニア姉に見えないのを良いことに、俺が手を離した瞬間にユーリは顔を完全に開いて中から触手をウネウネと伸ばしてきた。
俺は伸びてきた触手を左手で弾く。その全てを左手で捌きながら、俺は食事をとる。
「はぁ……」
俺は溜息を吐き、面倒になったので触手を掴んだ。
「ん?どうしたの?」
「なんでもないよ」
ラエラ母さんが不思議そうに首を傾げたので、俺は笑って答えた。
そのまま食事を終えた後……俺はお茶をすすって一息ついてから、例の話題を振った。
「少し話があるんだけど……」
「んー?」
同じようにお茶をすすっていた二人は、俺の言葉に耳を傾けた。それを見て、俺はうむと頷いてから夕方に領主邸でのアリステリア様の提案を二人に話した。
その間もギチギチとテーブルの……水面下にてユーリと俺の争いは続いている。
ちょっとぉー?かなり厄介なんですどこの子!飼い主は誰かしらね!?
ソニア姉でした……orz
「それでアリステリア様からかくかくしかじかで……だから、王都へ行くついでに護衛をお願いしたいってことなんだ。報酬も出るし、路銀も負担してくれるみたいだから悪くないと思うんだけど」
俺が説明し終えてから、ソニア姉が、「なーるほど」と独特なイントネーションで呟いて頷いた。
それから暫く……ソニア姉は目をクワっと見開き、俺に掴みかかる勢いで詰め寄った。
「そ、それ本当!?あのラエトエル様にお近づきできるってことだよね!?ね!?」
「あ、あぉーうん。多分」 
俺は上体を反らして、興奮気味のソニア姉と距離を置こうとするのだが、なぜか開けた分の距離をソニア姉はさらに詰め寄って埋めた。
近い近い近い……。
「やったぁ!断らない理由はないよね。お母さんもそれでいいよね!?」
「うん。いいんじゃない〜もうなんでも〜」
ラエラ母さん……ユーリの時もそうだったけど適当……。
俺は軽く溜息を吐いてから、二人に言い聞かせるように言った。
「本当にいいの?王都までの道中には一つ霊脈があるし……今は霊脈の近くは危ないんだよ?」
俺は危険であることを指摘する。それでも、ソニア姉は不安な色を一つも見せることなく満面の笑みで言った。
「大丈夫だよ。私たちが危ないときはグレーシュがいるからね」
………………。
「……確かに。うん、じゃあいっか」
何を俺は心配していたのだろう……危うく自分が何のために強くなったのかを忘れるところだった。
俺が強くなったのは他でもない、ソニア姉とラエラ母さんを守ることの筈だ。二人の行動を制限するためではない……。
俺は一つ咳を払い、ついでにユーリも払い除けて椅子から立ち上がって胸をドーンっと張った。
「二人は僕が守るからね!安心して!」
「うん。頼りにしてるよ」
ラエラ母さんは優しい笑みを浮かべて、胸を張る俺に言った。
あぁ……そういえば、と俺は王都からはどんな返事が返ってきたのかソニア姉に尋ねた。
ソニア姉は、「おぉ!」と声を上げて懐から紙を取り出して開いた。
「ちょうど今日、仕事場に届いたんだけど……内容は『歓迎する』っていうくらいだよ」
俺はソニア姉が見せた紙を見て、確かにその通りであると見て取った。 
「ふむ……じゃあ、明日になったら僕が領主邸でこれからの日程を聞いてくるから……二人はここを離れる準備をしておいてよ」
「あぁーうん……そうだね。うん……」
ふと、興奮気味だったソニア姉は急にしおらしくなり、寂しそうに家の中を見回した。離れるのが寂しいのだろう。
俺はそんなソニア姉に対して、どうやって接するべきか考えあぐねて……ポンポンとソニア姉の頭に手を置いた。
ソニア姉は少しだけ俺を見ると、不満そうにムスッと口を尖らせた。
「あたしの方がお姉さんなのに……グレイはこの五年であたしよりも背が伸びたね」
「何?今更」
俺は帰ってきてから一週間ほど経っているいるというのに……と、ソニア姉の頭をもう一度撫でる。
確かに……五年前は俺の方が背が低かった。こうするには手を上に持っていかなければ出来なかっただろうが、今ではそうする必要もない。
そんな俺たち姉弟の仲睦まじい光景を傍らで眺めていたラエラ母さんは、「うふふ」と笑いながらそっと目線を俺たちから外すと、部屋の隅に立てかけてある一本の剣に目をやった。
父さんみたいな……家族を身体を張って守る立派な兵士になると決めてからどれくらい経ったか……俺の夢は始まったばかり。
二度と前世の失敗はしないと心に刻んだ二度目の人生は果たして、今の今まで間違わずに歩むことが出来ただろうか。俺はまだ、二度目の人生の中でそれを確認する術を持っていないけれど……まあ、ソニア姉やラエラ母さんが幸せそうならいいかね。
俺は未だにムスッとしているソニア姉の頭の上に、俺の手の代わりにユーリを乗っけた。それでさっきまで暴れていたユーリは大人しくなり、気持ちよさそうにソニア姉の頭の上で、「にゃー」と鳴いた。
だが、ソニア姉はムスッとしたままで口を開いた。
「生意気……昔はもっと可愛かった」
「高校生の母親みたいなことを……」
なんで親というのは皆同じことをいうのだろうか……、「昔はあんなに」とか「小学校の頃は」などと言う。
別に今でも可愛いだろ。ソニア姉とか。
ふと、ソニア姉が首を傾げていることに気が付いて俺は、自分の失言が気が付いた。
「あぁ……うん。気にしないで」
「……?」
ソニア姉は不思議そうにさらに首を傾げる。高校生なんて……この世界の人たちには縁のない単語だったよな……。
こっちに来てから十六年も経つというのに、俺の前世の記憶は明確に思い出すことができる。
それがどういうことか分からないが……もしかすると、俺の人格に関わることだから忘れることが出来ないのかもしれない。まあ……前世のことは俺の反面教師となるわけだからな。あることに越したことはない。
「じゃあ、今日はもう寝ようか」
俺が言うと、ソニア姉は頭の上のユーリを両手で落ちないように抑えて笑顔で頷いた。
「うん。今日も真ん中はあたしだから!」
「はいはい」
「ふふ。それじゃあ、お布団敷いちゃいましょうか」
「僕が敷いておくよ」
ラエラ母さんは、「それじゃあお願いね」と言うと夕食の洗い物を……ソニア姉は何かやることを探したが特に無かったようで俺と布団を敷いて、直ぐに真ん中の布団に飛び込み、ゴロゴロとユーリと遊び出した。
仰向けになりながら、ユーリを両手で掲げてソニア姉は楽しそうにしている。
「にゃーにゃー」
「にゃーん」
果たして、どちらの鳴き声なのだろうか……傍らでそれを見ていた俺は苦笑しながらそんなことを思った。
そこに後片付けを済ませたラエラ母さんが寝室へ入ってくるや否や、厳しい口調……しかし優しげな表情でゴロゴロとユーリと遊ぶソニア姉を叱責した。
「こら、ソニー?布団が毛だらけになっちゃうでしょ?」
「うぅっ……ごめんなさい」
ソニア姉はシュンとなり、肩を窄めてラエラ母さんに謝った。ユーリもそれを真似るように小さくなっている。
俺はそれを見ながら、さらに苦笑した……。
※
翌日……二回半ほどの鐘が鳴った時、俺は領主邸の一室で神聖教最高神官であるフォセリオ・ライトエルと今後の日程について話し合っていた。
「…………という感じよ。昨日の内に『月光』には話しておいてあるから……。えっと、他に何か聞きたいことはある?」
俺は一通りの説明を受けてから、フォセリオにそう言われて首を横に振った。
「そう、それならいいわ。王都までの五日間……宜しく頼むわよ」
「ええ。こちらこそ、宜しくお願いします」
俺とフォセリオはお互いに手を差し出すと、その手を取り合った。
と……、
「……ふうん。やっぱり、男の人の手というのは大きいものなのね」
「へ?」
俺は突然フォセリオが何を言い出したのか理解出来ず、素っ頓狂な声を上げた。
いや、本当に何言ってんだ?
「えっと……」
俺はどうするべきか困っていると、フォセリオは構わずに握っている俺の手を広げて握手から、手のひらを重ね合わせるようにし、興味深そうに言った。
「ゴツゴツして硬い……男の人って不思議ね」
そう言いながらフォセリオは手を離すと、暫く自分の手を開け閉めして見つめていた。
本当に何なのだろう……。
と、俺が訝しげな目でフォセリオを見ていたのに気付いたのかフォセリオは、手を前でヒラヒラと振って、自嘲気味に笑いつつも口を開いた。
「あぁ……ごめんなさいね?その……ほら、私って最高神官でしょう?普通の神官と違って待遇というか……扱いがウンザリするくらい固いのよ。本当はもっと信徒の人と関わったりしたいのに出来ない……。それでね?男の人の手を取ったのは初めてだったから、ちょっと……興奮したというか」 
妙に頬を赤らめたフォセリオの態度に、俺は何だか卑猥に聞こえてしまい目を逸らした。少し後ろめたい……。
「あーこの後、何もなければ少し話さないかしら?私、暇でちょっと話し相手が欲しいのよ」
俺は特にこの後何もないし、断る理由もないしで頷いた。
にしても……最高神官っていっても暇なんだなぁ……こうして霊脈調査なんかしてるからもっと忙しいのかとも思ってたけど。本当に暇らしい……。
「それで、何をお話ししましょうか」
俺が切り出すと、フォセリオは少し間を空けて思考を巡らせてから口を開いた。
「そうね……じゃあ、貴方のことを聞かせてくれるかしら。貴方は神聖教徒?」
「いえ……まあ一応は神聖教徒ですね」
「ふうん?じゃあ、神は信じている?」
俺はそのフォセリオの質問に対して、愚問だな……と言いたいところだったがグッと堪えた。
「……信じていますよ。そりゃあもう心の底から」
何だったら信じ過ぎて発狂するレベルである。
「へー?誰を信仰しているの?神聖教は多神教とは言え……やっぱり信じている神様は一人でしょう?ちなみに、私は生命の神バニッシュベルト様かしらね」
バニッシュベルト……聖光教という一神教の宗派が崇める四大神の一角か。
俺はうーんと唸ってから答えた。
「僕は……いえ、僕もバニッシュベルトでしょうか。生命を司る神……生死に何かと縁があるので」
「へー。私は単純に、私たちを創ってくれたからってことだけどね」
フォセリオはそう言って窓の外を眺めた。
ここで説明しておくと……バニッシュベルト帝国は生死の神であるバニッシュベルトを信仰する聖光教を国教とした国であり、国の名前に神の名前が使われるのは珍しいことではない。
その名前を捩ったりした国などもあるくらいで、この世界で宗教というのはそれだけ根付いている。
まあ、何でもいいけど……と俺もフォセリオと同じように日差しが差し込む窓へ視線を向ける。
俺は神を信じる。俺が転生できたのは間違いなく神様のお陰なのだから。
あの神様が四大神のうちの一人なのか、もしくは全く別の神様なのかは知らないが……俺はあのモザイクの神様を信じている。あの暖かな感覚を俺は今でも鮮明に思い出す。
神聖教の最高神官か……ここで会ったのも神様のご縁なのかもしれない。
ふと、そんなことを考えた。
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