一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

魔人化

 ☆☆☆


「……なんぞ」

 トドメをさしてやろうとしていたセルルカは、突然グレーシュを中心に起こった爆発から逃れるように【テレポート】で距離を開け、爆煙の様子を遠方から見ていた。

 これだけセルルカが警戒しているのも、グレーシュの一撃が危険だと認めているからだ。
 一撃の中にはありとあらゆる技が組み込まれ、それらが相乗効果により純粋な力を一瞬とはいえ凌駕する……そのたった一瞬という時間の中で自分の身体を覆う氷の障壁にヒビを入れる。

 脆い箇所に一点に力を集めて、それらを爆発させる……。

 グレーシュが行なっていることは、簡単に言ってしまうとこの世界にあるありとあらゆる数値化できるものの数値を自由自在に変更するといったことだ。
 前方に百の力が働いていたとしたら、それを千にも一万にも倍増させることができるし、逆に減らすこともできる……。
 全ての力を操り、技で以って力を捩じ伏せる……弱肉強食の世界の理を超越した力だ。もしも、このままいっていればいずれは伝説の末席に座っていたかもしれないが……しかし、ここでセルルカが見逃すはずがなかった。

「貴様は殺すぞ……」

 と、セルルカが歯噛みしたところで爆煙が晴れてグレーシュの姿が見えるようになる。相変わらず氷の巨石を支えているようだが……先ほどのボロボロの姿とは一転していた。

 氷を支えているのは、身の丈三メートルはあろうかという巨人……脚は百獣の王の如く強靭であり、両腕の筋肉は隆起して装備していた鎧はインナーからズタズタになっている。ボディも同じように胸筋や腹筋が隆起している。頭頂部にはフサフサの三角耳が生えており、背中と腰からは白く大きな翼が動いていた。

「魔人化……ぞ?」

 ブワッとセルルカの全身から汗が噴き出す。グレーシュから発せられる殺気に自分の命の危機を感じたのだ。それだけの殺気が、漏れ出ていた。

 もう両手で氷を支える必要はなかった。片手で氷を支え、丸く輝く眼光を向けられたセルルカは背中にゾクゾクと感じる恐怖に言い訳を付けるように、伝説としてのプライドを奮い立たせてグレーシュを睨みつけた。

「面白くなってきたぞ」
「……」

 グレーシュはセルルカを見たまま、口を開かなかった。


 ☆☆☆


 先に動いたのは言うまでもない。セルルカだった。

 氷を支えて動けないグレーシュを今叩くのは当然だ。【テレポート】で距離を開け、遠方から氷の砲弾を生成し、グレーシュに放った。
 グレーシュは、ふと氷を支えている腕とは逆の腕を放たれた氷の砲弾に向ける。そして、魔力を自分の正面に展開させると、氷の元素が元となってグレーシュの正面の広い範囲に薄い氷の膜が出来た。

 そこへ氷の砲弾が直撃すると、砲弾はそれ以上は進むことができなくなり、その場で停止した。

 それを見たセルルカは思わず驚愕に表情を染めた。

「なっ……それは妾の氷の障壁……なぜ」

 セルルカの氷の障壁は薄い氷の膜で全身を覆うことでダメージを殺している。その氷の膜の強度は鋼を凌駕し、下手な攻撃ではビクともしない。その強度を保つには、セルルカの莫大な魔力量と魔術制御力が必要となるわけだが……グレーシュに魔術制御力がセルルカ並にあったとしても、魔力量ではセルルカが圧倒的なはずだ。
 それでセルルカの攻撃とグレーシュの防御が同等とは考え難い。魔人化の影響か……セルルカはそう考え、攻撃のスタイルを変えることにした。

「見せてやろうぞ……固有魔術【タイプチェンジ】」

 セルルカは魔術を発動させ、全身を自らの氷で覆う……そして、それらの氷が砕け散ると中から猫耳フードを被ったパーカー姿のセルルカが現れた。

 食事によってその服装も変えることが彼女にとっての美食であるなら、それは戦闘も同じことだ。ドレスならば優雅に……この市民のような姿ならアグレッシブに。

「いくぞ……ふっ」

 セルルカが手を振るうとそれに合わせて氷が生成されていき、グレーシュまで大気が連なって凍りついていく。
 グレーシュは顔を顰めると……支えていた氷の塊に電気を流して塵にし、全身に電撃を纏って刹那……雷光が轟いてセルルカの背後にビリビリと身体から放電するグレーシュが移動してくる。

「っ!それはっ」

 セルルカはベルリガウスの【エレメンタルアスペクト】だと言おうとして、グレーシュの拳が腹部に直撃したことで吹き飛んだ。

 大気を吹き飛ばす威力の鉄拳で、山の二つ三つに大穴を開けたセルルカは最終的に地面に巨大なクレーターをつくり、転がるようにして止まった。

「ぐっ……うぅ」

 吐血。

 氷の障壁を貫き、衝撃が身体を巡ったことでセルルカは初めてダメージらしいダメージを受けたのだ。
 ゆらりと立ち上がりながらセルルカは感覚を研ぎ澄ませ、そして再び高速接近するグレーシュに向けて氷の槍の雨を放つ。

 それらの槍の隙間を縫って、電撃を纏ったまま高速移動するグレーシュはまさに稲妻……ゴロゴロと落雷の如き轟音を一帯に広げ、グレーシュはセルルカに三度接近……いつまにか装備していた右手に握る剣を振るってセルルカの左腕を肩から切断した。

「っ!」

 セルルカは直ぐさま氷で義手をつくり、今しがた自分の腕を切り離して通り過ぎるグレーシュの脚を凍りつかせる。

「……っ」

 一瞬、グレーシュの動きが鈍くなる。その一瞬……一瞬の時間でセルルカは超広範囲の空間を瞬間凍結させる魔術を発動させる。

「逃がさんぞ!【ワールドクロック】」
「……【バリス】」

 時が徐々に凍結していく中で、グレーシュは身を反転させて上下が逆さまの状態から剣を弓矢に練成し、そして魔力を収束して矢を放つ。

 時間の止まる寸前で、光の速さで駆け抜ける矢がセルルカの額へ向かって飛んでいく。
 そしてセルルカに矢先が当たると思われた瞬間、時間が完全に凍結し、グレーシュの動きが、時間が止まる。

 勝った。

 そうセルルカが確信し、笑みを湛えたところズンッという衝撃に見舞われ、その細い肢体は地面から引っこ抜かれるように吹き飛んだ。

「っ……」

 脇腹を食いちぎるようにして、グレーシュの放った【バリス】がセルルカに命中したのだ。時間の止まった空間でなぜ?そんな疑問がセルルカの思考を占めた。
 幸いにして、額に当たらずに脇腹を通り過ぎたのがよかった。あれほどの貫通力のある攻撃を受けていれば、セルルカの障壁は突き破られていただろう。

「ぐっ……」

 セルルカは食いちぎられた脇腹を氷で修復する。そして、ふと……静寂な世界の中にビリビリという異物が紛れ込んでいることに気付く。

 直後、止まっていたグレーシュの姿が掻き消えたと思えば閃光が走り、セルルカの頭上に翼を広げたグレーシュが放電を続けながら滞空し、弓矢を構えていた。
 グレーシュがそれから矢を放つのと同時に、セルルカは【テレポート】で矢の射線から逃れ、直ぐに空間ごと時間を凍結させようと魔力を収束……凍結させる。

 が、再びグレーシュが落雷の轟音と共にセルルカの死角へ瞬時に移動し、【バリス】を放った。

 今度は、首を曲げてセルルカは【バリス】を避ける。仮にも光の速さに達する矢を躱すことは常人には不可能だ。この二人の戦いはそういう戦いであり、既に二人の戦闘の余波で山々は削られ、地面には大穴が空いている。さらには所々で時間が停止しているという事態……。

 完全に人の身で出来ることではない。

「【ワールドクロック】」
「【バリス】」

 静寂に包まれた空間な一閃走り、再び二人が移動したかと思うと再び交わる。

「【アブソリュータス】」
「【アイスプレス】」

 氷の巨石と、無数の矢の嵐が衝突……余波が周囲に広がり、森や川などの地形を吹き飛ばし、破壊する。
 グレーシュの無数の矢が、ベルリガウスを消しとばした矢の嵐が、セルルカの氷を食い散らかすようにして破壊し、やがてセルルカの氷を粉々に粉砕するとグレーシュはセルルカの頭上をとり、放つ。

「【イビルバリス】」

 そう言って、グレーシュの背後に巨大な悪魔の腕と弓矢が生成され、無慈悲なる一矢がセルルカに向かって放たれる。

「ふっ」

 セルルカは落ちてくるそれに対して、自分の腕を振るい、それに合わせて大気を凍らせて【イビルバリス】と衝突させる。
 壁のように凍りついた大気と、巨大な悪魔の矢が衝突し、地に激震が走る。

 そして、そこで終わりではない。続くようにグレーシュが閃光を走らせ、セルルカの背後に回るように走り……一撃を繰り出した。

「【トップガン】」

 セルルカもさすがといったところで、それに反応して【テレポート】で距離を開け、そのまま先程まで自分のいた空間を凍結させる。
 だが、やはりグレーシュも人並み外れた反応速度で稲妻を纏って凍結する空間から逃れる。そしてお返しとばかりにグレーシュはセルルカから距離を開けたまま時計回りに高速でその周囲を回り、【バリス】を連続して放つ。

 直ぐにセルルカも反応し、自分の周囲の地面から氷の壁を隆起させ、【バリス】と衝突させる。

「っ……」
「っ!」

 二人は瞬きの間の攻防の中で、人を超えた戦いを繰り広げる。圧倒的力、速度、技……どれをとっても人ではない。
  片や、『暴食』と呼ばれ数々の逸話を持つ伝説の魔術師……。
 片や、様々な異名で呼ばれる兵士にして転生者。神業に等しい技を以って伝説に立ち向かう。

 力と技、正反対の二人の攻防はなおも続く。

 グレーシュは飛び上がると、セルルカの張った氷の壁の上から矢を放つ。セルルカは自分の立つ地面から氷の柱を生成し、グレーシュの矢から逃れるように離脱……さらに【テレポート】で視界から逃れる。
 しかし、グレーシュは気配でセルルカの居場所を特定して直ぐに追って、矢を放つ。

 セルルカも直ぐに大気を凍らせて応戦し、空間を凍結させる。

 そんな攻防を数度続けている内に、二人にある変化が起きた。お互いに命を懸けた戦いをしているにも関わらず、笑っているのだ。
 グレーシュとセルルカは同じように口の端を吊り上げ、笑っているのだ。

 暫くして二人の攻防が止み、打って変わって辺りに静寂が舞う。
 お互いに変わり果てた地の上に立ち、目と目を合わせる。それは笑顔で。

「ふふふ……ふっ……名前は」
「……グレーシュ・エフォンス」
「その魔人はなんぞ?」
「魔人……ベオ・グリア」
「ベオ・グリア……か」

 復唱しながらセルルカはグレーシュの姿をじっくりと見てみる。
 下半身はライオン、上半身は鷲ではないようだが背中と腰から生える翼と金色に輝く鷹の目のようなひとみを見るからに頭の中にはグリフォンがいるであろうことが、セルルカには想像できた。
 しかし、それ以外に何かが混ざっている。上半身と何よりも頭でピコピコとセルルカのものに似た耳が動いているのだ。
 どこか孤高で、どこか誇り高く、どこか弱々しい……そんな耳。

「そうぞ、狼の耳……あぁ、そういうことぞ」

 セルルカはどこか得心がいったように頷く。
 狼は一匹ではそこまで脅威ではない。狼達は群れで行動し、そして何よりも一匹一匹が高い知性を持つ。それらが合わさることで、狼の危険性は高まっていく。
 目の前の男は、そんな狼に似ている。否、そのままだ。

 弱いが故に技を磨き、それら全てを掻き集めて獲物を狩る……無数の知識の群れ、知恵を絞る狼の群れに酷似するのだ。

 そして、それとは正反対に百獣の王と空の王が合わさった魔物の王とも呼べるグリフォン……。

 一匹では直ぐに狩られてしまう狼と、一匹で生きるグリフォンが集合した力と技の合わさった姿……それが目の前にいる男の姿だった。
 しかし、ここでセルルカにある疑問が浮かぶ。

 人間の持つ魔力保有領域ゲートの中には、吸収した魔物の意識が存在する。魔人化するさいに表に出てくるそれは、特徴的に一つしか出てこないのだ。吸収した魔物の魔力の中でも最も強力な自我を持つ魔物の姿に酷似する形となるはずだが、なぜグレーシュはグリフォンと狼の姿を兼ねているのか……。

 問題の狼の方は、名前の由来から考えてベオウルフだと想像出来る。しかし、危険度としてはCランクほどで少し腕の立つものならば単独で狩れるような魔物であり、魔人化したさいにそれが表面化するほどの自我もないはずだった。

「なんにしても、面白い男ぞ」

 セルルカがそう言って微笑むと、グレーシュは翼を広げてから折り、セルルカに反応を示した。
 セルルカはそれを見ると肩を竦め、自分の中で魔力を集めていく。それから口を開いた。

「さて、妾も本気を出そうぞ……」

 セルルカは集めた魔力を爆発……周囲に魔力汚染を人為的に引き起こし、その姿を変えていく。
 氷の脚が六本……そして大きな丸いお尻が姿を現す……まるで蜘蛛にも見えるその姿で、胸の部分を氷が覆い、お腹は臍が大変艶かしい感じでむき出しになっている。
 セルルカは姿が変わると、口から冷気を漏らしながら艶かしい唇を開いた。

「魔人化〈コキュータス〉……絶対零度の地獄の最下層にある世界そのものの化身ぞ」

 地獄の最下層にある凍える世界コキュートス……その世界の化身たるコキュータスという魔物の魔人だった。
 そこに存在するだけで周囲が凍る。大気が寒がるように震える。

「第2ラウンドというやつを……始めようぞ」
「……」



コメント

  • ノベルバユーザー31355

    とても面白いです!!自分の中ではNo.1くらい面白いです!! 頑張って下さい!!次の話も期待してます!!

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