一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

怪力

 –––旧教会前–––


 バルトナを殴り飛ばしたノーラは、襟足から伸びる二匹の蛇をくねらせ、それから後ろで呆然としている三人に肉食獣のような鋭い視線を向ける。それだけで、達人ともあろうエキドナが震え上がった。そして、恍惚とした眼差しでノーラを見つめる。
 ただの変態だった。
 が、さすがにこの状況だったためにエキドナは直ぐに自重し……呆然とノーラを見つめて声も出ないといった風なエリリーに代わってエキドナが口を開いた。
「ノーラ……よね?」
 慎重にそう訊ねる。
 ノーラはヤギの足へと変貌した下半身で地面を鳴らし、瞳を空へ……否、彼方へ向ける。その目に写しているのは何か……エキドナが注意をそちらへ向けると、そちらの方向から落雷の轟音が響いてきた。
「あなた……まさかっ」
 エキドナが言い終えるよりも速く、ノーラはそのヤギの足で地面を蹴って飛んだ。
 その膂力で地面が大きく揺れ、衝撃で飛んできた破片をエキドナは【念動力】で全て止めた。
「くっ……あれは魔人化してる」
 ノーラはあの時、確かに死んだのだ。だが、死体は……亡骸はそのままだった。とはいえ、それにしたって……魔人化するのが速すぎる。
 しかし、ここでバルトナとエキドナ……二人の達人が争っていたのだ。魔人化してもおかしくはないかもしれないが……やはり、速すぎる。あまりにも。
 いったい何が?
 エキドナは考えては見るが、その答えに辿り着くことは出来なかった。


 –––山岳地帯–––


「……」
 ギルダブは完全に攻めあぐねていた。
「どうしたぁー?攻めてこねぇならよぉ……俺様からいっちまうぞぉ!!」
 地にいるギルダブに対して宙に浮かぶベルリガウスは叫び声を上げて、電撃を纏ってギルダブに突っ込んでくる。
 ギルダブは正面でそれを受けてから、薙ぎ払って距離を開ける。
「……む」
 と、ギルダブは身体の異変に顔を顰めた。やはり……やはり、身体の調子がおかしくなり始めている。ベルリガウスの仕業か?と、ギルダブが眉を寄せるとベルリガウスは答え合わせをするように、クツクツと笑って口を開く。
「クックック……気づいたかぁ?クックック……電気ってのはなぁ、空気すらもめちゃくちゃにするらしくてなぁ……俺様がここちら一帯飛び回っちまったからなぁ、それでここらは空気が薄いみてぇだぁ」
 空気が薄く?ギルダブはその現象について知識がなかった。これがグレーシュであれば、異変に気付いた時点で直ぐに対策も出来ただろう。だが、この知識は何しろ科学の進んだ世界のものだ。電気の本体みたいなベルリガウスでもなければ気が付かないようなことだ。
 ギルダブは空気が薄くなっていることによって起こっている自分の状態に冷や汗をかいた。酸欠……自分の動きが鈍く、そして呼吸が上がりやすいのはそういうことかとギルダブは納得した。
 時間が経てば不利になるのはギルダブだ。
(もとより、伝説相手に手加減して勝てるとは思っていなかったが……これは予想外だ)
 武力だけではない。知略もある。これが帝国の達人を束ねていた伝説……予想はしていたが強い。
「仕方ない……あれをやるか」
「はーはん?やっとやる気になりやがったかぁ?」
 ベルリガウスはギルダブが出し惜しみをしていることに気が付いていた。強い者と戦いたいベルリガウスとしては、相手が本気でなければ面白くないのだ。
「じゃあ、ここからがぁ本番ってわけだなぁ?クックック……じゃあ、俺様もいくぜぇ?」
 ギルダブ、そしてベルリガウス共に魔力を全身から放出し始める。どちらも引きを取らない魔力を放出しあい……そして同時にその魔力を自分に集めようと……、
「む」
 ギルダブはこちらに近づいてくる気配を感じ取り、その動きを止めた。ベルリガウスも魔力の収束を止め、コメカミに青筋を立てる。
「誰だぁ?楽しい俺様の時間を邪魔するやっ!?」
 ベルリガウスが何か言いかけ……それは遮られた。超高速接近してきたそれは、真っ直ぐにベルリガウスへ激突すると同時に宙にいたベルリガウスを吹き飛ばしたのだ。
「ごぉあぁぁぁ!」
 ベルリガウスは電気化すらも間に合わず、吹き飛ばされた。つまり、ベルリガウスが反応出来なかったのだ。
 ベルリガウスは山岳地帯の山々に風穴を開けながらずっと後方に吹き飛ばされていき、ベルリガウスが踏ん張ってやっと止まった。
 ビリビリと放電して停止したベルリガウスは血走った目で、ただ正面を見据えて吼える。
「誰だかしらねぇかぁっ、この俺様に対していい度胸してやがるじゃねぇかぁ……ただじゃぁすまさねぇぞ!!!」
 ベルリガウスは電撃を迸らせて、そのまま直進……一瞬にして山をいくつも越えて戻ってきて、そして目標を見つけて我を忘れたように両手の剣を振るう。
「らっあぁぁぁ!」
「…………」
 現れたそれは、ベルリガウスの剣を受け止める。
「馬鹿がぁ!」
 ベルリガウスは身体を放電させ、電撃を見舞う。だが、それには通用しない……それにとって、その程度の攻撃は何も意味を成さない。
 ギルダブはただ唖然とし、それを見る。そしてポツリと呟いた。
「の、ノーラントなのか……?その姿は……魔人化しているのか……」
 そう……現れたのはノーラだった。その姿はやはり異形なものとなってはいるが……ノーラだ。間違いない。
 ノーラは受け止めたまま剣を握る。刃に直に触れているにも関わらず血が出ることも、皮膚すらも切れてはいない。剣を握ったノーラは片手でそれを振るう。
「ちぃっ!」
 ベルリガウスは堪らず剣を離す。と、ノーラは直ぐに剣をベルリガウスへ投げ飛ばした。これには反応してみせ、ベルリガウスは電気化して躱す。
「このくそがぁ……っ!!」
 ベルリガウスが怒りを露わにした言葉を述べようとした瞬間……ノーラが投げ飛ばした剣が山に直撃すると同時に山が一つ……綺麗に消えた。
「…………」
 ベルリガウスの顔から表情が消える。
 地形を変えるこの所業……ただ剣で一刀両断できるギルダブも確かにとんでもないが、そこには技があった。だが、ノーラはただ投げただけでこれなのだ。異常だ。
「てめぇ……なるほどなぁ。魔人かぁ……クックック。おもしれぇ」
 怒り狂っていたベルリガウスは一瞬にして冷静になる。おそらく、今のベルリガウスならば先ほどのようなヘマはしないだろう。
「じゃあ、さっきは途中で邪魔されたがなぁ……今度は邪魔してくれるなよぉ?」
 ベルリガウスはノーラの周囲に電撃を張る。さっきの冷静さを欠いていたベルリガウスの電撃とは違う。油断のない、戦闘を楽しむ……戦闘狂のベルリガウスの放つ電撃だ。魔人化しているノーラでも先程のように無傷ではいられないだろう。
 ノーラはただジッとベルリガウスを見つめたまま動かない……動こないことを選んだ。それを見て、ベルリガウスはクツクツ笑う。
「クックック……いい心がけだぜぇ?それじゃあはじめっからぁ……よぉ……魔人化ぁ!!〈ライジーン〉!!」
 ベルリガウスの周囲で簡易的な小規模の魔力汚染が引き起こされ、その影響でベルリガウスが魔人へとその姿を変貌させる……魔人となったベルリガウスは身体が完全に電気へ変化し、背後に太鼓を装備している。
 雷神……自然現象である落雷を引き起こすとされる魔物の姿と、ベルリガウスの今の姿は酷似していた。
『ほぉぉぉやくだぁ……さあぁ!やり合おうぜぇ!』
「…………」
 ノーラは電撃が消えると同時に地面を蹴って跳躍……宙にいるギルダブに向かって拳を握り締める。
『クックック……』
 ベルリガウスは両手の剣を重ね、天に向かって電撃を放つ。ベルリガウスの持つ最高威力の技……、
『【テンペスト】!!』
 ノーラの拳がベルリガウスをすり抜け、ノーラはベルリガウスに触れたために電撃のダメージを受ける。
『クックック……効くかぁ』
 ベルリガウスの身体は今や電気そのものだ。闇の元素による干渉の力がなければ、まともにダメージは入れられないし、入れても直ぐに回復されてしまう。万事休す……。
 ギルダブはその光景を見ながら、どうするべきか考える。
(加勢すべきか……否か。ノーラントがこっちきた意図が分からないな。向こうが片付いたらこちらへ援護にくる話などはしていない……これがノーラントによる独断ならば、彼女は今本能のままに動いている可能性がある)
 魔人化した人間は、欲望に……本能に従って動く。結果的にそれが人を傷つける行為に繋がる事例が多いために、魔人は危険とされ……人が死んだ場合はきちんと処理をするのだ決まり……。
(向こうで何かあったのだろうが……あまり考えている時間もあるまい)
 と、ギルダブが思考の世界から帰ってノーラの加勢に行こうと顔を上げ……驚愕した。
「なっ……」
 ギルダブの目の前でありえないことがおこっていた。それはベルリガウスも目の当たりにしており……【テンペスト】放とうとしていたベルリガウスの手が止まるほどだ。
 ノーラ……ノーラが、ベルリガウスに攻撃が効かないと見て近くにあったを一つ持ち上げていた。
『な、なんじゃそりゃぁ……』
 ベルリガウスはあまりにも突拍子もないことに頬を痙攣させる。山を消しとばしたりするのなら簡単だが、持ち上げるとなると話は違う。一体、どれだけの力があるというのか……。
 山を持ち上げたノーラは、堆積して固まっていた土の層と岩石の密集した部分を、両手で持ち上げていた。表面の固まっていなかった土はボロボロ……否、もはや擬音で言い表せないような量が雪崩のように……雨のように地へ落ちる。
 山を持ち上げるノーラは、その影から瞳をギラリと光らせる。
『ちぃ……山ごと消し飛びやがれっ!【テンペスト】!』
 ベルリガウスは構わず天に集まっていた黒い雲から雷を落とす。光の柱が地面へ落ち、全てを蹂躙していく。
「くっ……」
 衝撃と爆風にギルダブは腕で顔を庇う。なんという威力か。
 いくらこれでは、ノーラも無事ではない。
 そう思われたが、ノーラの姿は健在だ。持ち上げていた山は吹き飛んだが、ノーラはその山が盾になったため、無傷ではなかったにしろダメージは殆どなかった。
『くそがぁ!』
 ザンッとベルリガウスの姿が消えたかと思うと、ベルリガウスはノーラの背後に現れた。その巨体がノーラを小さく見えさせる。
 ベルリガウスはノーラに剣を振り下ろす。雷速の如き巨剣が何度も何度も叩き込まれ、地揺れによって地割れが引き起こされる。
 暫くそれが続いた後、ベルリガウスの剣が二本ともノーラに掴まれてしまった。
「っ」
 あれだけ剣を叩き込んだにも関わらず……まだ動く。生きている。抵抗してくる。ありえない……ベルリガウスは剣術でも達人を凌ぐ実力者だ。間違いなく完璧な一撃一撃をノーラに与えたはずだった。何故?何故抵抗できる?
「……」
 ノーラは二本の剣を両手で握ったまま、ベルリガウスを見上げる。ジッと……。
『ぐっ……なんで抜けねぇ……なんつー馬鹿力してやがんだぁ……?』
 と、ノーラは急に動き出すとベルリガウスごと剣を宙に放り投げて拳を握った。
『クックック……確かに力はすげぇ……防御力も並みじゃねぇが、だがてめぇは俺様を傷つけられねぇ。クックック……何をやっても無駄だぁ!』
 ベルリガウスが吼えると同時に、ノーラが拳をベルリガウスに向けて突き出した。距離を詰めたりはせず、その場で……宙に浮かぶベルリガウスに向けて振るった拳はベルリガウスには届かなかった。当然といえば、当然だが……問題はその後だった。
 ノーラの振るった拳で殴られた大気が揺らぎ、打ち震える。
 衝撃が駆け、ベルリガウスを打つ。
『だから効かねぇってんだぁ!』
 ベルリガウスは何ともないようだが……ベルリガウスの背後にあった山は……山々が粉々に消え去り、空にあった雲も不思議な形に裂けていた。天変地異……ノーラの怪力でそれが引き起こされた。
 互いに決定打はなく、ベルリガウスはそれを理解して歯噛みした。
 ギルダブは二人を見て、頬に汗を一雫……。
(ノーラントとベルリガウスが暴れたら大変なことになるぞ……地形がこれだけ変わってしまうとはな……。グレーシュ、早くしろ。ベルリガウスさえなんとか出来れば、ノーラントを止める術はある)
 今のノーラは本能で動いている。その上で、ギルダブには危害を加えていないのだ。間接的には被害を受けそうだが……少なくとも本人にその気はない。つまり、今のノーラは本能でベルリガウスを倒したいと思っているのだ。
 それならば……グレーシュが戻ればノーラントを正気に戻せるかもしれない。みれば、ノーラの魔人化はまだ第一段階……第二、第三段階に進む前に間に合えば何とかなる。
 ギルダブはそう考え、二人の戦いの行く末を見守る。下手に手を出せば、ノーラの邪魔をし兼ねないからだ。


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