一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

灰色に染まる乙女

 〈クーロン・ブラッカス〉


 今日、グレイくんがお仕事で出ていってしまった。笑顔で送り出したのはいいものの、なんだか物寂しく……私は気を紛らわせようと庭先で愛刀を振るう。

「ふっ」

 スパンっと空気を切り裂き、粉塵が舞う。やはり、二刀流でもない私ではこの程度でしかないと、つくづく情けなく思う。
 二刀流の私なら、音もなく、粉塵も舞うことはない。それは力が全て一点に集まっていることを示すからだ。
 これが、今の私の限界なのだと思うと途端に無力感に襲われる。いつまでも、グレイくんに頼ってばかりでは、私はズルズルとダメな女になってしまいそうで怖くなった。

「いけませんね……少し休みましょうか」

 私は一人、ポツリと呟いて屋敷へと戻る。ふと、私は二階のグレイくんの部屋まで足を運んでしまった。どうしてか、自分でも分からなかったが、どうも無意識に会いたいなどと考えてしまったようだった。

「重症ですね……」

 グレイくんの部屋の扉へ体重を預けるように、手のひらと額を当てる。ヒンヤリとした扉は、その向こうに誰もいないことを、私に訴えているようだった。

「誰も……いない」

 そうだ、誰もいない。

 ワードンマさんは、知り合いに会いに行った。
 アルメイサさんは、鞭がどうのこうのと街へ。
 ツクヨミちゃんは、買い出しに。
 それについていく形でユーリちゃんもいない。
 ラエラさんも何かの買い物でいない。

 私だけ。

「……」

 そのことを考えてしまい、自然と私の手はグレイくんの部屋の扉を開けてしまう。
 キィっと音を立てて開いた扉の向こう側には、きっちり整頓されたベッドやら家具がある。
 私は少し躊躇ったが、直ぐにスタスタと歩いてグレイくんのベッドに額を押し付け、数瞬後には何かを搔き集めるように息を吸った。
 そうして、めいいっぱい吸った後にゆっくりと吐き出す。

「はぁ……グレイくんの匂いがします」

 部屋の中にある微かな残り香を、私は感じる。そして、徐々にだが身体が熱くなっていくのを感じた。

「……」

 少しくらいなら……今は誰もいないのだ。

「ん……」

 そうして私は……。


 ※


 なんてことをしてしまったのか。

 ただ、終わってしまった後の脱力感の中で私は息も絶え絶えにそう心の中で、自分の行いを恥じた。
 まさか、他人のベッドで無我夢中で行為に耽るとは自分でも思わなかった。節操がない。いやらしい事この上ない。
 グレイくんの部屋で、グレイくんのベッドで、なんだか身体がグレイくんに包まれているかのような感覚がいつもよりも私を高ぶらせた。

「なんだか……どんどんダメになっていくような……」

 グレイくんなら、「お前は大概ダメダメだよ?」みたいなことを言ったかもしれない。とはいえ、この状況を見られたら、私は投身自殺する覚悟がある。恥ずかしすぎる。身投げしなければ、私の名誉のために。

「本当に依存してしまったら……グレイくんに嫌われてしまいますよね……」

 もしも、彼に嫌われ、拒絶されたら、それでも身投げする自信がある。それほどまでに、今の私はもろくなっている。
 考えないようにしてきた過去を、ずっと遠ざけてきた事実を、彼に打ち明けたからだろうか。何か一つ、共有できるものがあると他人との関係はこんなにも、ずっと違ったものになるものなのかと、私はグレイくんのベッドの枕を抱き抱えながら考えた。
 私は、グレイくんの愛人でもなんでもいいと思っていた。グレイくんが、他に好きな人ができたなら重婚でもいいと言った。
 だが、ダメだ……この溢れるばかりの愛情が、グレイくんを想う全てが、憎しみに変わってしまうかもしれない。

「自分で、言ったこと」

 それは分かる。

 しかし、それはグレイくんに嫌われたくない、よく思われたいという真っ赤な嘘。
 本当は独り占めにしたいと、心の中で叫んでいた。
 過去から逃げ続けて、虚栄で塗り固められた鋼の仮面がただ一人の男の子に剥がされてしまう。ずっと守ってきて、遠ざけてきたものを自分の目の前に晒される。
 不快だ。とても不愉快で、いっそ嫌いになりたいとすら思うのに。
 それでも、好きになってしまった。愛してしまった。八年前は、そんなことを思ったことはなかった。ただ、戦友だと思っていた。
 しかし、戻ってきた頃からか…。あるいは戻ってきて、剣を交えてみてからか。どうにも自分の女としての部分が彼に惹かれてしまった。

「ん……」

 彼の匂いに包まれていると、自然と身体が火照ってきてしまう。
 彼に惹かれる理由を問われると、実は少し答えるのに困ってしまう。ラエラさんやソニアさんのことを何より大事にし、私なんかはないがしろにされてしまうわけで、そこを考えるとやはり惹かれる理由が分からない。

 その信念に惹かれたのか。あるいは、その志に惹かれたのか。

 二人のために伝説に並ぶ実力をつけたグレイくんの、その高い志に惹かれたのだろうか。
 どれだけ考えたところで、答えが出ないことなど自分でも分かっている。ただ、私が彼に今まで抱いたことのない深い愛を持っているという事実だけが本物なのだ。

「好きです……」

 あなたのことが。

「ただ……」

 その瞬間、私の中に何か得体の知れないものが入り込むような感覚した。私の五感の全てが、異物の出現に反応する。
 複数の気配が、この郊外にあるグレイくんのお屋敷から少し離れたところにある城下町上空に突然出現した気配を感知した。
 それらの気配から明らかな敵意を感じ、私はグレイくんのベッドから跳ね起きた。

「……」

 窓を見ると、辺りが暗い。今日は朝から曇りだったが、それに重なるようにして影が濃くなっているというか……。
 私は窓際へ向かい、空を見上げた。

「あれは……」

 王都イガリアの城下町……その南区の上空に巨大な岩が浮かんでいた。熟練級地属性魔術【マウンテンプレス】。巨大な岩を落として、広範囲に大規模な被害を及ぼす。
 しかし、一体なぜ?あんなものが……それに、王都の魔術師達が誰もあれに気がつかないなんてはずがない。
 王都にはこういった事態を考え、魔術師達の操作で王都内で魔術の使用をできなくさせる特殊な防御結界があるらしい。

「いえ、考えていても仕方がありませんね」

 何が起こっているか分かりませんが……あまり良い感じはしませんね。

「そういえば……ラエラさんは……」

 ツクヨミちゃんは買い出しなら商業区のあたりか、いつもの大通りにいるだろう。
 南区にラエラさんがいたら危ない……。

「行きましょう」

 私はラエラさんの気配を探りながら、屋敷を飛び出した。
 私の脳裏に浮かんでいる王都全域の地図上に、ラエラさんの気配を感じ取る。場所は西区……南区の隣だ。あれだけの巨石が落ちたら、南区だけの被害には止まらない。
 私は愛剣を握り、離れたところに見える巨石に向けて振り下ろそうと……。

「おぉや?これはこれは……『月光』殿ですかな?」
「……」

 巨石が突然南区の空に浮かぶように、その中年の男も私の背後に突然現れた。だが、気配を感じていた。だから、私は特に驚くこともなく振り返った。

「あなたは……?」
「おぉや?あまり驚かれないご様子」
「転移魔術の類いでしょう?魔術の気配を感じます」
「ふぅん?まあ、宜しいでしょう」

 中年の男はローブを着ていた。魔術師なのは、もはや疑いようがないだろう。

「私はバーモンド・アクター……。手短に説明しましょうかね?」

 私は男の動向を伺いながら頷く。今は情報が必要不可欠だ。何が起こっているのか、知る必要がある。

「私は魔術協会の者でしてね?この国に交渉・・に来たのですよ……私達の代表がね?」
「交渉……?」

 なんの交渉かは知らないが、あんなものを空に浮かばせておいて……脅迫の間違いだろう。

「私のお仕事は、貴方のような実力者を押しとどめることでしてね。変な気を起こすと、もれなくこの国の王様がポックリ、ついでにあれも落ちてしまいますからね?気をつけてくださいね?」
「……なんの交渉ですか?」
「それをお教えする義理はないはずですがね?」

 この国の魔術師達は、動けなかったのではない。私は気づいた。

 動かなかったのだ。

 彼らが直接王都内に転移できるように手助けしたのだ。魔術協会に逆らえる、魔術師はそう多くない。
 冒険者など、魔術協会に属さない魔術師以外ではその全てが魔術協会の管理下に置かれているのだ。
 しかし、魔術協会がどうしてこんなことを……おそらくその交渉とやらに関係しているのだろう。
 あの空にあるもののせいで、街はパニックになっているだろうし、なによりラエラさんが心配だ。
 それに、王様と交渉しているのなら敵は城内にも直接転移しているに違いない。ソニアさんも、心配だ。
 私は静かに愛剣の柄を握る。まだ、刀身は鞘から引き抜いていない。
 私の動きに気づいたのか、中年男が笑った。

「よぉした方がいいですよ?私、これでも熟練級でしてね……剣で切られた程度じゃっ」

 私は男が続ける前に、その首を切り離した。
 恐らく、ベルリガウスの【エレメンタルアスペクト】のように物理攻撃が効かなくなるような魔術を使っていたのだろうが、私にはそんなことは関係ない。

「固有魔術【ゴースト】……」

 身体全身に闇の元素を纏い、全てに干渉する力を得る。流動体でもなんでも斬ることができるのだ。

「さて、時間が取られてしまいました。ラエラさんを探した後にソニアさんのところへ……王城へ急がないと」

 私はラエラさんの気配を探知しながら、そのまま駆け出した。


 ※


 街へ入ると、混乱の極みだった。
 街の人々はパニックに陥り、逃げ惑う。南区から、こっちに流れ込んできているようだ。
 だが、ある場所で先ほどの中年男と同じローブ着た魔術師達が南区から出られないようにしている。

 私は全速力で駆け、背後から強襲する!

 敵は把握できる限り三人……全員が熟練級の魔術師だと仮定し、【ゴースト】を纏う。
 愛剣を両手に握り、まず一人に目掛け……。
 そこで、敵は私に気づいたが遅い。最初に狙った魔術師は何もできずに首を刎ねられて絶命した。だが、他の二人はさすがに反応が早かった。

「なっ……貴様っ」
「何を……」

 戸惑いながらも、ほぼ無詠唱で魔術を行使してきた。火属性と風属性の速攻性の魔術で、どちらも上級の魔術だ。
 私は風属性の魔術を一刀の下に斬り伏せ、続いてせまりくる豪炎に合わせて舞う。

「固有剣技……」

 視界が赤く、紅く、染まり出す。この感覚は、そうだ……私は何かに導かれるようにして、鞘を腰から引き抜く。
 そして、身体を反転させる。

「『斬月』!」

 爆炎が広がり、辺りに衝撃が走る。
 私の放った剣技と相手の魔術が衝突したためだ。その結界、煙が上がり視界が遮られる。

「くっ、どこに……」

 と、魔術師達が私を探している間に私は気配を頼りにその二人も排除……煙が晴れたころに、呆然としていた街の人たちに避難するように呼びかけると、少しだけ落ち着いた様子で、避難を始めてくれた。
 だが、この異変に気付いた魔術師が数名……こちらに近づいてくるのを私は感じ、迎撃態勢を取った。

「早く、ラエラさんのところに……」

 ラエラさんが動いた気配はない。あの女性のことだ。この騒ぎで怪我をした見知らぬ誰かのことでも、治療しているのかもしれない。そういう女性だ。

「グレイくんにも、そういったところを見習って欲しいのですが」

 と、私が一人苦笑していると魔術師達がやってきて私を見て、眉を顰めている。
 私は気を引き締めて、両手に握る相棒達を構えた。


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