一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

氷点下の女王

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 場所は、『絶海』などと呼ばれるところ……絶海は生き物が生きていくには厳しすぎる環境から名ずけられた地名である。その名の通り、元は大海であった場所だったがある時現れた一人の女性により、そこは絶対零度……氷点下の世界に変貌してしまった。
 それはおよそ数年前の話……大海が凍った世界では植物は育つことがない。そして、餌もないから生き物も住まない……唯一生存できるとすれば凍った海面から数キロほど潜った先にある深海の生き物達のみだ。
 北国の空ではなく、空には爛々と太陽が輝いているのだが、その氷は溶けることはない。永久に溶けることのない氷の世界……もちろん自然にできたところではない。このように地形を大きく変動させることができるのは自然を超越した存在……語り継がれる伝説による仕業だ。
 この絶海を根城にするその伝説の名は……『暴食』のセルルカ・アイスベートである。
 絶海の中心に聳え立つ巨大な…………塔。その天辺が彼女の住まうところであるが、それより下は何もない。あるのは彼女が作ったカラクリ仕掛けのエレベーター的なものだけだ。もちろん、彼女手製の氷の部品で作られたカラクリだが……。
 太陽が照りつける昼下がり……彼女は昼食を摂っている。絶海の塔にて彼女が雇っている料理人兼身の回りの世話役である侍女……マリーナの作った食事だ。
 マリーナの作るものは全てが一級品……料理一筋の料理人と比べても劣ることのない腕を持つ上に、侍女としての家事全般のスキルも非常に高い。まさに完璧……唯一の欠点といえば、戦闘力が皆無といったところだが伝説の一翼であるセルルカに護衛など必要はないだろう。
「本日のご昼食はこちらです」
「……」
 マリーナが氷のテーブルに置いた皿に、セルルカは視線を落とす。マリーナは皿を覆っていたものを取り外す。
 皿の上には見事な盛り付けにより、美しく飾られたサイコロステーキがのっていた。見た目の美しさ、そして食欲をそそる香り、最後に味……これこそが美食である。
 フォークとナイフをそれぞれ持ち、セルルカは肉を食す。食べる姿も美しく、優雅……それもまた美食である。
 氷一色の部屋で、侍女の服に身を包むマリーナ。そして、氷の椅子に座って優雅に食事を摂る伝説。氷の世界で真っ黒なドレスに身を包んだ彼女の姿は妖しく、真っ白な肌に整った顔立ちは精巧な人形そのものだ。スカイブルーの髪は長く腰まであり、同じく氷の色ともいえる水色の瞳は凛として澄んでいる。
 と、ステーキを食べ終えたセルルカは口を布で拭くと頭に生えた三角耳をピクピクさせて言った。
「……うむ、よい出来ぞよ」
「ありがとうございます」
 セルルカの言葉に、マリーナはお辞儀をして言った。
「マリーナよ。そなたは、まさに妾が求める真の美食を理解しているぞ。見た目もよい、香りもよい、そして非常に美味であった……なによりもサイコロステーキぞ。食べやすかったぞよ」
 マリーナはこれにお辞儀で返した。
 セルルカの求める真の美食とは、味などもそうだが……食べ方もまた美食の内であると考えている。故に、食べ難いものは美食ではないというのがセルルカだ。
 例えば、パン……特に固いパンは彼女の美食に反する。パンは千切って食べるのがマナーであるが、固くパサついたものはカスがポロポロと落ちるのだから厄介極まりない。とはいえ、セルルカクラスの美食家や良家の令嬢ともなれば、パンのカスを落とすことなく食すことはできよう。だが、気を使わないと食べられないというのはセルルカの美食が目指すところではない。
「食事は美味なるものを楽しんで食す……それが妾の美食であるぞ」
「心得ております」
「うむ……して、マリーナよ。妾は、今宵の夕食はラーメンが所望ぞよ」
「承知しました」
 美食家がラーメン……マリーナは何も言わずただ頷く。
 セルルカはとにかく何でも食べる。美食家というが、別にお上品な貴族向けのものばかり食べているわけではない。世界各地にあるありとあらゆるものを食す……だからこそ、彼女には『暴食』などと本人としては大変不本意な二つ名が付いてしまったのだ。
 セルルカは席を立つと、クローゼットへ向かう。もちろん氷で作られたもので、その中から一着……服を取り出す。取り出した服は、今着ているような貴族の着る上等な服ではなく、庶民が着るような生地で作られた服だ。
 はたして、貴族がラーメンなどといった庶民の食事をドレスで食すか?否……上等な食事には上等な姿で、庶民の食事には庶民らしく……それぞれルールがあり、それに見合った服装をしなければ非常に醜い食事……醜食となるのだ。見た目の美しさを求める彼女の美意識に反する。
 そのため、彼女は一般庶民の服を一着持っていた。黒いドレスと同じく、黒を基調としたものでフードの付いた……所謂、パーカーである。獣人である彼女用の耳付きフードで、身長の高い彼女に合わせ、裾は腰の上あたりまである。下にはベージュのホットパンツのようなものを履いている。
「うむ、ドレスとは違って上品さがないが……気楽である。これもまた美食であるぞ」
「そうですね」
 セルルカが着替え終えると、マリーナは頷いて同意した。終始無表情なマリーナに、セルルカは眉を寄せた。
「ふむ……マリーナよ……美食をする・・には、表情も大切ぞ。笑顔などとは言わぬが、もっと柔らかくするがよいぞ」
「かしこまりました」
 そういう彼女の表情に変化はない。できた侍女だが、感情の機微に疎すぎる……セルルカは諦め、塔の天辺にあるテラスに出て、そこから外を見渡す。見渡す世界は氷一色だが……太陽の光を反射する神々しい大地にセルルカは表情を緩ませる。
「ふむ……よい景色である。今宵はここで食そうぞ」
「…………テラスでラーメンでございますか?」
「新たな美食ぞ……」
 不釣り合いになる絵だが……セルルカは何事もやってみなくては気が済まない達である。絶海を作ったのも、そのよう理由からであった。
 それからセルルカは、テラス席で折角着替えたのだからと庶民らしく酒でも飲もうかと麦酒をマリーナに頼んだ。麦酒は果物から作る葡萄酒や林檎酒よりも生産しやすく安価であるため、庶民向けだ。故に、今のような格好をしたセルルカは麦酒を好んで飲む。まあ、それで葡萄酒や林檎酒を飲まないというわけではない。少し懐に余裕がものならば、葡萄酒を飲むし、もっと余裕がある商人などならば蒸留酒というものを飲むことがある。
 蒸留酒というのは、まあ端的に言えば出来た酒をさらに蒸留して純度を上げる……葡萄酒で言えば、色が薄くなり初めて頼んだものは水割りした酒などと言うようだ。だが、蒸留酒は水割りした酒などとは真逆……水割りすることで濃度を薄めることとは全く逆で、蒸留することで濃度が高くなる。ものによっては、一杯だけで酒豪を黙らせるほどだ。
 まあ、蒸留酒はもちろんそこそこ高価なのでセルルカの美的感覚からするとやや外れる。そのため、やはり今の格好では麦酒を好むようだ。
 そうやって昼間から麦酒を飲んでいる美女は、テラス席に用意したパラソルの下でボーッと酒を飲む。もともと無気力そうな表情をしているセルルカには、なんともまあ似合った過ごした方であった。
 だが、彼女は伝説……しかも、美食家とも呼ばれている。彼女自身も相当な料理の腕を持ち、それ目当てで訪れる伝説・・がいる。
 そうやってセルルカが暇そうに過ごしていれば、その伝説は嬉々としてやってくる。それも雷光のごとき速さで……。
 ザザッと、セルルカが瞬きをする瞬間に稲妻がセルルカの横を走り去り、そしてセルルカの向かい側にあるテラス席に腰掛けた人物……セルルカがチラリと目を向けると、その者は傲岸不遜な態度で片手を挙げるのだった。
「よぉ……久しぶりだなぁ」

 ベルリガウス・ペンタギュラス……。

「久しぶり……とな。いつ戻って来よった」
 セルルカは冷たく訊ねる。すると、ベルリガウスは意外にも普通に答えた。
「ははん。昨日だぁ……それよりも、客人が来たってぇのにここは茶も出せねぇのかぁ?」
「勝手に来たのだろうが……マリーナよ。こやつに茶など不要ぞ」
 と、セルルカが言うとマリーナはお辞儀をして承知した。ベルリガウスは肩を竦めた。
「そこの侍女の茶はうめぇからなぁ……飲みたかったぁぜぇ」
「ならば金を払うがよいぞ。マリーナは妾が雇っているのだからな」
「ケチくせぇやろうだぁ」
「黙れ……」
 セルルカは少しコメカミに青筋を立てた。本当に、人の気分を逆撫ですることに関しては才能がある男だとセルルカは溜息を吐く。
 ふと、セルルカは最近聞いた面白い話を思い出してベルリガウスに振った。
「そういえば……そなた今、死んでいることになっているぞよ」
「ははん?どうゆうこったぁ?」
「そなたが世界を飛び回っている間に、そなたとよう似た名前の男が現れてな。いや、もはやそなたそのものであったぞよ」
「……ははん。なるほど、そういうことかぁ」
 ベルリガウスはどこか納得したように頷いた。セルルカには分からなかったが……少なくとも、今セルルカと相対している男こそが本物・・のベルリガウスであると確信していた。以前、今は死んでいるベルリガウスと会ったことがあるセルルカは会った当初から偽物だとは気が付いていた。偽物というと、少し語弊があるだろうが……。
「一人で納得するでない。もう一人のそなたに関して、何か知っておるのだろう?」
 セルルカが訊くと、ベルリガウスは笑う。
「クックックッ……まあなぁ。もう一人の俺かぁ……そいつはぁ、恐らく俺様と似たような考えを持っていたんだろうよぉ」

 ベルリガウス・ペンタギュラスは強者との戦いを望む。どうしたら強い者と戦えるか……考えた末にベルリガウスはある考えに至ったのだ。

 自分と戦えばいいじゃない……と。

 伝説であるベルリガウスは、この世界の様々なことを知っている。
 今あるこの世界とは、全く違う別世界……異世界があることをベルリガウスは知っている。例えば、それはグレーシュのいた地球……そして今いるこの世界。
 無数に存在する世界と世界は、それぞれ別次元に存在しており、互いに干渉できないように次元の壁が存在する。次元の向こう側には、この世界とよく似た世界があると言われ、ベルリガウスはその説に従い……自身の雷の力を上手く使って数十年も昔に次元の旅へと出ていた。
 そうして雷の力をさらに昇華させたベルリガウスは、現在自由自在に次元へ干渉することができるようになっている。いつ、どのような次元の世界にもベルリガウスは移動が可能……空間の超越者なのだ。雷など、そんなものは彼の力の一部にしか過ぎない。もはや、スケールが違うのだ。
 そして、話は戻る……先ほどベルリガウスが言ったのは、ベルリガウスが別次元を旅している間に別次元のベルリガウスが、まさにベルリガウスと同じ考えで……別次元の自分を探しにやってきていたのだ。そうして、こちらへやってきたベルリガウスはそのまま居つき、帝国の将軍へと……まあ、ベルリガウスの歴史などどうでもいいので割愛する。
「別次元のそなたか……妾は生憎美食に意外は興味がないぞ。そのような話をされたところで、理解はできんし、興味もないぞよ」
「てめぇから訊いてきたんだろぅがよぉ……」
 そう言って、この次元での本物のベルリガウスが顔を顰める。かなりややこしいが、今セルルカの目の前にいるのが本物のベルリガウスなのだ。かのミスタッチが認めた男なのである。
「おい、ミスタッチのババアは知ってんのかぁ?」
 と、ベルリガウスが訊くとセルルカは首を振った。
「知らん……妾はミスタッチと面識がないぞ。まあ、かのミスタッチは千里眼を持つと聞く……そなたが戻ったのは知っておろう」
「そうかぁ……まあ、ババアはどぉうでもいい。それより、俺様が死んでることになってるってこたぁ……つまり、俺様よりもつえぇ奴がいるってことだろぉ?誰だ」
「知らん。それに、こちらのそなたは……今のそなたほどではないぞよ。こちらのそなたに勝ったからといって、今のそなたと真面には戦えまいぞ」
「ははん……つまらんなぁ」
 ベルリガウスは仕方ない……と言いながら雷光のごとき速さで席に座った際に床に置いた風呂敷を広げた。
「なんだ、それは」
「ははん?こりゃぁ、別次元で手に入れた代物だぁ……」
 そう言ってベルリガウスが取り出したのは……箱だ。それも普通の箱ではない。箱の表面にはイラスト……否、内容物を表す写真のようなものが描かれていた。
 ベルリガウスがその箱を開けると、セルルカは首を傾げた。
「なんぞ……それは」
「こりゃぁ……プラモデルっつー代物だなぁ。クックックッ」
 プラモデル……。
「俺様がこっちに戻る前に旅した次元だぁ……地球とか言ったかぁ。ここの隣にある次元なんだがなぁ……全くこっちとは似てなくてなぁ。不思議なところだったぁなぁ……そこで見つけたもんだぁ。こうやって、パーツをとってだなぁ……組み合わせるんだぁ」
「何が楽しい」
「あぁ……?みてろぉ……っ!!」
 ベルリガウスは稲妻を腕に、指に纏わせ……そして雷光の速度でパーツを組み合わせて組み立てる。そうして組み上がった物を見て、ベルリガウスは満足気に頷いた。
「クックックッ……みよ!アイスベートよ!この速度、そしてこの完成度……クックックッ……俺様は天才かぁ……」
 楽しみ方は人それぞれではあるが……ベルリガウスのは少しおかしい気がする。
 もちろん、セルルカは知らないため何が楽しいのか本当に分からず……溜息を吐いた。
「して、いつまでここにいるつもりぞ。ここは妾の砦……さっさと出て行かぬか」
 セルルカの突き放す物言いに、ベルリガウスは溜息を吐いた。
「たくっ……ケチくせぇ」
「黙れ」
 やれやれと、ベルリガウスは両手を挙げる。そして、氷の椅子から立ち上がる。
「じゃあ、そうだなぁ……ちょっくら、別次元の俺様を倒しったっつー奴を探すことにするかぁ……」
「ふむ……生き返ったと思われ、攻撃されそうぞ。戦うつもりか」
「俺様は戦いたい性分だぁ……が、今回のところは挨拶しにいくだけだぁ。別次元の俺様と思われながら戦われるのも嫌だからなぁ……俺様は俺様だぁ。さぁて、それじゃあ行くとするかぁ……」
 どこの誰かも知らない。そんな相手を探すというベルリガウス……だが、数々の次元で自分を探し、そして勝利を収めてきたベルリガウスは人探しが得意となっていた。
「会うのが楽しみだぁ……」
 ベルリガウスは口の端をニッ釣り上げ、テラスから稲妻のように走り去って行った。


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