一兵士では終わらない異世界ライフ
依存
–––グレーシュ・エフォンス–––
走馬灯というには、状況的に考えて不釣りあいのように思える。走馬灯というのは人間が死ぬ間際に見る、その状況を打破するための措置だ。それを今、特段死ぬ間際な状況でない俺が見るのはおかしな話であった。
俺は目の前で暴れる妖狐の攻撃を避けながら、その走馬灯のようなものを見る。
俺ではない誰かの夢……カルナリア……。クーロン……。妖狐……。
ドクンドクンと、心臓の鼓動に合わせて色々なものが俺になだれ込む。その夢が、否……記憶が誰のものか理解した時には、暴れていた妖狐の魔力が霧散した。おそらく、妖狐の本体からの命令が、供給が途絶えたからであろう。
「やったか!クロロ!」
どうやら、クロロが門を閉じることが出来たらしい。トラウマの根源みたいな奴を目の前にしてよくやった。俺だったら、多分心が折れていただろう。
俺はクロロの気配を辿り、門の前でへたり込むクロロを視界に捉える。なんだか泣いているようにも見え、俺は何事だと困惑しながらクロロに近寄った。
それから、続けて混乱する出来事が起こる。クロロが俺に抱きつき、「愛している」という告白をしてきた。一瞬、ドキリとしたが……いつものクロロとは様子が違うことに気が付いた。
そして最後……クロロが俺の耳元で囁いたのは……俺に「愛している」と言って欲しい、そんな願い事だった。
だから、俺はクロロの肩を抱いてから引き剥がす。クロロの表情が見えるように。見ると、クロロは俺に離されたことで一瞬だけ傷ついた表情をしていたが、離れた距離が鼻先が触れ合うような距離だったため、直ぐにクロロが嬉しそうに目を細めた。そして、頬を染めて今か今かと俺の返事を待っている。
クロロは今……確実に危うい立ち位置いる。俺のこの先の言動如何によっては……一生クロロは……。
クロロは今、俺に依存しようとしている。そんなの、見れば分かる。何でもいいから、支えが、逃げ道が、安心できる場所が、何でもいいから欲しいのだろう。あまりにも、一人で背負うには重すぎるから、誰かに分けたいのだ。だから、ここは拒むしかない。そうしなければ、俺たちはもう肩を並べて戦うことなんて出来ない……俺の中でそんな思考があると同時にこんな思考もあった。
なんだこの可愛い生き物は……
と……。
「クロロ……」
俺が少し顔を寄せると、クロロが目を閉じる。
やめろ、俺を誘惑するな。
ダメだ、このままでは。
そう思いつつも、目の前にある幸福を、餌をミスミス逃すことができない、したくないのもある。
考えた末に……俺は……考えるのをやめた。
思考停止である。なんかもう、どうでもよくね?え?もう流されていいよ……なんなら、このままクロロも養うしぃ。ソニア姉とラエラ母さんと一緒に……。
それに依存されるって、別に悪いことじゃないなくね?愛されるし、こっちも全然愛せるしぃ〜?クロロも心の平穏を保てて、俺も嬉しい!WinWinだね!
だから、俺は優しくクロロの耳元で囁いた。
「あぁ、好きだよ……クロロ。愛している」
「グレイ……くん」
求めるようにクロロは俺の首に再び腕を回す。そして、そっと唇を寄せる。だが、俺の言葉はまだ終わっていない。
「あぁ、愛しているとも」
「……え?」
俺がクロロから離れるように立ち上がると、クロロは呆然とした目で俺を見上げた。俺は、ただ悲しく瞳を細めてクロロを見つめ……最後の一言を告げる。
「だから、それは許さないぞ。お前の逃げ道に俺を使うな。俺たちは対等だ、そうだろう?お前が言ったことだ……お前が……紛れもなく、クーロン・ブラッカスが言ったんだ。今のお前は……クロロなんかじゃねぇよ」
俺が踵を返して立ち去ろうとすると、クロロが俺の足にしがみ付いてきた。
「ま、待って!!私には貴方が、貴方が必要なんです!お願い、行かないで……」
なんだこの可愛い生き物は……じゃなくて。
「いや、帰る。帰って、向こうでお前に説教してやる」
「む、こう……?」
「そうだよ。ここはお前の世界だからな……現実に戻る。それだけだ」
俺が告げると、クロロは「現実……」と、呟く。
「なあ、クロロ。俺は言っただろ?お前の重荷は背負うって……だけどさ、俺とお前は対等なんだろう?なら、俺に頼るな。別に全く頼るなってわけじゃないけど……その重荷は誰かに投げ捨てていいもんじゃないだろ」
「で、でも……だって……」
「んじゃ」
とりあえず言いたいことだけ言って立ち去ろうとすると、クロロはなおも俺に縋る。
こいつっ!
「わ、私は……」
「お前……いい加減にしろ!」
さすがの俺も怒鳴らずにはいられなかった。
「確かに、人間生きてりゃあ時には弱る時もある……。分かる。分かる……だがな、お前が今やってるのは、他でもねぇ!今までの自分を、そしてカルナリアちゃんを裏切る行為だぞ!」
「え……?」
どうして知ってるのか……そんなような表情だ。知るか!そんなもん!
「カルナリアちゃんも、俺も、俺以外のみんなも、そしてお前自身が!お前のことを信じている全てに対しての冒涜だ!ふざけんな!」
あぁ……これは果たして誰に向けた言葉なのだろう。全てが自分にブーメラン。
俺も裏切り続けた人生を送ってきた……クロロに比べれば、俺の方が年下なのは前世を合わせても同じ。だが、クロロと俺は違う。その違いは、たった一つだけだ。
「いつまで弱音吐いてやがる……。怖いなら逃げろ!戦う必要はない。嫌なら目を背けろ。見なくていい。辛いのなら、言え。弱音くらい吐いてもいい……だがな、いつまでもも喚くな!ずっとそうしてるってんなら、そんなのクソだ!無様な醜態をいつまで晒し続けるつもりだ!」
なんか自分で何言ってるか分からなくなってきた。
「なあ、お前がさっき見た過去の記憶……走馬灯を何で見たか分かるか?」
「走馬灯……過去の記憶……」
それは、クロロが妖狐を向こう側に押し込める前に見た夢……走馬灯、過去の記憶のことだ。あのとき、俺もクロロが見ていたものと同じものを見ている。それを俺が、クロロも見ていると知っているのは……あのとき、確かにそう感じたからという非論理的な確証でしかない。そのため、この際細かい説明は省く。
「見たんだろ?カルナリアちゃんが……お前の妹との記憶が、思い出が」
「……」
クロロはだんまりだ。だが、あれを見てクロロは復活した。クロロの中で再燃したはずだ……一度は。しかし、その炎は小さすぎた。直ぐに燃え尽き、支えを欲してしまった。ここで俺が、クロロを甘やかすなんて出来ないだろ……そんなことしたら、カルナリアちゃんが、悲しむ。
「お前の記憶を少しだけ覗いたから分かる……お前はカルナリアちゃんの憧れでいたかったんだろ?いや、いたいんだろ?だから、今も対等でいたかった俺まで頼っていつもの自分を取り戻そうと必死なんだよ」
「……」
「お前があの走馬灯を見たのは、妖狐に打ち勝つ打開策を探していたからじゃない。自分を取り戻す打開策を、探してた……だからピンポイントでカルナリアちゃんとの記憶が走馬灯になって浮かんだんだ」
「…………カルナ」
「ほら、さっさと立て。妹が憧れてるお姉ちゃんであり続けたいんだろ?」
「……」
クロロは俯き、俺から離れる。そして、俺はまた自己嫌悪……なんという盛大なブーメランだ。
自分のことは棚に上げて説教か……バカ丸出しだろ、俺。
俺は鈍感系じゃないから、気付いていた。俺なんかに憧れてくれていた女の子が……少なくとも二人いたことを。そんな二人にカッコつけられていない俺がよく言う……あ、いや。一応、名誉挽回はしているので、それで勘弁してほしい。雷帝の戦で!
今度こそ、俺が立ち去ろうとすると……クロロの遠慮がちだがしかし、先ほどまでの情けなさがなくなった声が俺の背中に投げられた。
「グレイくん……私を殴り飛ばしてください!」
「えぇ!?」
–––屋敷–––
「…………ちょっと長いわね」
「何か……問題があるの?」
セリーの呟き声にエキドナは直ぐに反応する。それと同時に、部屋の前の扉でソワソワしているソニア達の気配を感じ、エキドナはため息を吐いた。
セリーは少し目を細めて、口を開く。
「長時間、肉体から精神が離れているのは良くないわね。精神というのは不安定なもの……魂魄、魂が所謂精神であり、魄が所謂肉体……精神と肉体、二つでワンセット」
「でも、バートゥは精神体オンリーだったじゃない」
「あれは別よ。そもそも自然の超越者を引き合いに出さないでちょうだい」
それもそうだと、セリーの言葉にエキドナは肩を竦めた。
「精神が肉体から離れ、別の肉体に止まっているとその肉体には精神が二つあることになるでしょう?すると、肉体は精神を一つにしようと働くのよ」
精神を一つにしようとする働き……魂魄一致と呼ばれる現象である。その肉体の精神以外を排除する動きだ。
だが……、
「でもね、精神はそうじゃないわ。精神と精神……作りが同じものだから、精神同士は結びつこうとするわ」
「……?どうして?」
「簡単な話……完全なものになるため。人の精神は完璧じゃないの。脆弱に作られているのよ、神によって」
「宗教的な考えね。あまり、エキドナ好みじゃないわ」
「あなたは魔術師ですものね……まあ、いいわ」
完璧ではない精神は、より完璧に、完全になろうとする。向上心とでも言うのだろうか……とにかく、精神はそのようにより強くなろうとするのだ。
「精神結合と拒絶……どうしてそうなるか、というのは神がそのように私たちを作ったから」
「魔術的には、長年の研究テーマとされて数世紀も謎のままね……」
魔術的な仮説では、精神は単一では存在できないのではないかと言われ、肉体という箱の中でなんとか存在しているのだという。肉体は単一で存在が可能であり、肉体の許容量が精神一つであるために入りきらない精神が肉体から追い出される……というものがある。
まあ、結局魔術的な確証は何もないようだが……。
まあ、それはともかく……。
「精神と肉体で働きが全く異なるわけだけれど……はたして、どうなると思うかしら?」
セリーがエキドナを試すように訊ねると、エキドナは簡潔に答えた。
「……二つの精神は二つの肉体に戻る。けれど、精神と精神は繋がるのね?」
「その通り……神体一致と呼ばれるわ」
魔術的には、バーニング現象と呼ばれる。
この現象が起こると、精神が結びついた者同士は言葉を交わすことなく相手との意思疎通を可能とするらしい。 
とある冒険者のパーティーが、極限の戦闘中に発現させることがあったという事例がある。そんな極限状態で発現することから、バーニングと呼ばれる。
「フォセリオ……それを知っててこんなことを?」
「そんなわけないでしょう?ただ、『月光』の意識を叩き起こして魔力保有領域を閉めるだけの作業でこんなに時間がかかるとは思わないじゃない……」
言われてみれば、確かにそうである。
「中で……何かあったのかしら」
「そう考えるのが自然よね……」
「ちなみにフォセリオ……ご主人様とクーロンにバーニング現象が発現していたらどうなるのかしらね……」
「そうね……なんだかいつもとあまり変わらない気がするけれど……」
セリーの言葉にエキドナは目を細めた。
エキドナの人間観察力はズバ抜けている。そのため、芯がしっかりしていそうなクロロにも脆い部分があることをエキドナは分かっていた。
まあ、それがどんなものなのかは恐らくグレーシュしかしらないのだろうと……エキドナは考えていた。
「まあ!二人が神体一致したところで、特に大丈夫よ!多分!」
「そうね」
普段の二人がアレなので、精神が繋がったところで問題はないだろうとエキドナもセリーも思った。
–––グレーシュ・エフォンス–––
「…………」
「さぁっ!」
クロロは目をギュッと瞑って、今か今かと待ち構えている。何を血迷ったのだろうか、この女。
「いや、あれだよ?痛いよ?すごく痛いよ?かなり痛いよ?もうすんごいよ?いいの?痛いよ?」
「さっきグレイくんに痛めつけられた心より、絶対に痛くないです!」
遠回しに責められているのだろうか。
「いや、本当に真面目に真剣にガチで痛いよ?」
「なんですか!言葉の暴力は振るえても、手は出せないんですか!」
急に元気になったな、こいつ。
「言葉の暴力って……」
「いえ、分かっています。私がいつまでもウジウジとしている所為だということは……だから、殴り飛ばしてください!」
「……」
殴り飛ばす……まあ、さっき俺に依存しようとしていた時とは違うのは分かる。吹っ切れたい……いや、振り払いたいとでも言うべきか。
とにかく、過去と決別したいのだという気持ちが伝わってくる。クロロの覚悟が。
俺の言葉で再復活……というわけでもないだろう。俺はただ、自分が言いたいことをクロロに投げつけたに過ぎない。俺の言葉にクロロを労わる、励ます、立ち直らせよう、などという意は全く篭っていなかったのだ。
クロロが再起しようとしているのは、他でもない……カルナリアちゃんのためだ。あの走馬灯は、今にも砕けそうなクロロの精神が見せた再起するためのカギだったのだ。
「さぁ!!」
「…………」
依存したいからではなく、再起するために俺の手が必要ならば……協力してもいいだろう。都合がいいのかもしれないが……。
よ、よしっ……。
「いいか?手加減無しだよ?本気でいくからな?痛いよ?」
「はい!」
「あれだよ?歯とか取れるかもよ?そしたら痛いよ?マジ」
「は、はい!」
「しかも、もうお前の歯とか永久歯だから生えないよ?いいの?ちょー痛いよ?」
「……あの、ちょっと覚悟が揺らいできました」
(閑話休題)
「お、お願いします……」
「おう……はーはー」
俺は拳を温める。拳骨するわけではないが、なんかな。
「よし、歯ぁ食い縛れ!」
「……っ」
俺は思いっきりクロロの腹部を殴った。
「っ!?」
クロロはお腹を抑えて悶え、ごほごほと咳き込んでいる。
「か、顔……かと思いました」
うん……腹筋緩んでたもんね。
「ごめん。顔はなんか抵抗があった……」
「先に言ってくだ……さい」
クロロは生まれ立ての子鹿のように足をプルプルさせながらも、なんとか立ち上がる。精神体は肉体的なダメージは受けないが……痛みとかあるのかな……。
感覚があるんだから痛覚もあるのか……。
「で、目は覚めたか?」
俺が訊くとクロロが顔面蒼白状態で頷いた。
「……い、一応は。色々、吹っ切れたような気がします」
それは本当に気がするだけだと思う。
「まあ……トラウマなんてゆっくりと乗り越えていけよ。うん、俺もそうだったし」
「…………?グレイくんにトラウマなんてあったんですね?」
「まあ、昔……」
そんな感じに、普通に会話するくらいにはクロロが回復した。そうこうして、しばらく話しているとクロロが言った。
「本当にありがとうございます。グレイくんのお陰で、やっと自分を取り戻せた気がします」
「いや、俺じゃない。お前の力だよ……もっといえばカルナリアちゃん」
「ふふ……確かに、そうかもしれませんね」
「そうそう。俺は何もしてないよ」
「そうでしょうか?」
「うん」
サーっと風が駆け抜ける。今この場には、俺とクロロしかいない。風景はガラリと変わって、いつのまにか幻想郷とも呼べる世界に俺たちは来ていた。
「あれ?いつのまに……」
「まあ、精神世界ですから。風景なんて直ぐに変わります」
「ふーん」
一面が花畑……そんな幻想郷。
「あの、グレイくん」
「ん?」
少し遠慮がちなクロロの声に、俺は幻想郷の風景から視線を外す。クロロに目をやると、少しだけ恥ずかしそうにしながら、そっと右手を差し出してきた。
「これからも、宜しくお願いします」
そう言って、クロロが微笑む。
うん。
「宜しく……」
ちょっと気恥ずかしくなりながらも、その手を取ると、俺たちはどちらからともなく混ざり合い、溶け合い、結び付いた。
走馬灯というには、状況的に考えて不釣りあいのように思える。走馬灯というのは人間が死ぬ間際に見る、その状況を打破するための措置だ。それを今、特段死ぬ間際な状況でない俺が見るのはおかしな話であった。
俺は目の前で暴れる妖狐の攻撃を避けながら、その走馬灯のようなものを見る。
俺ではない誰かの夢……カルナリア……。クーロン……。妖狐……。
ドクンドクンと、心臓の鼓動に合わせて色々なものが俺になだれ込む。その夢が、否……記憶が誰のものか理解した時には、暴れていた妖狐の魔力が霧散した。おそらく、妖狐の本体からの命令が、供給が途絶えたからであろう。
「やったか!クロロ!」
どうやら、クロロが門を閉じることが出来たらしい。トラウマの根源みたいな奴を目の前にしてよくやった。俺だったら、多分心が折れていただろう。
俺はクロロの気配を辿り、門の前でへたり込むクロロを視界に捉える。なんだか泣いているようにも見え、俺は何事だと困惑しながらクロロに近寄った。
それから、続けて混乱する出来事が起こる。クロロが俺に抱きつき、「愛している」という告白をしてきた。一瞬、ドキリとしたが……いつものクロロとは様子が違うことに気が付いた。
そして最後……クロロが俺の耳元で囁いたのは……俺に「愛している」と言って欲しい、そんな願い事だった。
だから、俺はクロロの肩を抱いてから引き剥がす。クロロの表情が見えるように。見ると、クロロは俺に離されたことで一瞬だけ傷ついた表情をしていたが、離れた距離が鼻先が触れ合うような距離だったため、直ぐにクロロが嬉しそうに目を細めた。そして、頬を染めて今か今かと俺の返事を待っている。
クロロは今……確実に危うい立ち位置いる。俺のこの先の言動如何によっては……一生クロロは……。
クロロは今、俺に依存しようとしている。そんなの、見れば分かる。何でもいいから、支えが、逃げ道が、安心できる場所が、何でもいいから欲しいのだろう。あまりにも、一人で背負うには重すぎるから、誰かに分けたいのだ。だから、ここは拒むしかない。そうしなければ、俺たちはもう肩を並べて戦うことなんて出来ない……俺の中でそんな思考があると同時にこんな思考もあった。
なんだこの可愛い生き物は……
と……。
「クロロ……」
俺が少し顔を寄せると、クロロが目を閉じる。
やめろ、俺を誘惑するな。
ダメだ、このままでは。
そう思いつつも、目の前にある幸福を、餌をミスミス逃すことができない、したくないのもある。
考えた末に……俺は……考えるのをやめた。
思考停止である。なんかもう、どうでもよくね?え?もう流されていいよ……なんなら、このままクロロも養うしぃ。ソニア姉とラエラ母さんと一緒に……。
それに依存されるって、別に悪いことじゃないなくね?愛されるし、こっちも全然愛せるしぃ〜?クロロも心の平穏を保てて、俺も嬉しい!WinWinだね!
だから、俺は優しくクロロの耳元で囁いた。
「あぁ、好きだよ……クロロ。愛している」
「グレイ……くん」
求めるようにクロロは俺の首に再び腕を回す。そして、そっと唇を寄せる。だが、俺の言葉はまだ終わっていない。
「あぁ、愛しているとも」
「……え?」
俺がクロロから離れるように立ち上がると、クロロは呆然とした目で俺を見上げた。俺は、ただ悲しく瞳を細めてクロロを見つめ……最後の一言を告げる。
「だから、それは許さないぞ。お前の逃げ道に俺を使うな。俺たちは対等だ、そうだろう?お前が言ったことだ……お前が……紛れもなく、クーロン・ブラッカスが言ったんだ。今のお前は……クロロなんかじゃねぇよ」
俺が踵を返して立ち去ろうとすると、クロロが俺の足にしがみ付いてきた。
「ま、待って!!私には貴方が、貴方が必要なんです!お願い、行かないで……」
なんだこの可愛い生き物は……じゃなくて。
「いや、帰る。帰って、向こうでお前に説教してやる」
「む、こう……?」
「そうだよ。ここはお前の世界だからな……現実に戻る。それだけだ」
俺が告げると、クロロは「現実……」と、呟く。
「なあ、クロロ。俺は言っただろ?お前の重荷は背負うって……だけどさ、俺とお前は対等なんだろう?なら、俺に頼るな。別に全く頼るなってわけじゃないけど……その重荷は誰かに投げ捨てていいもんじゃないだろ」
「で、でも……だって……」
「んじゃ」
とりあえず言いたいことだけ言って立ち去ろうとすると、クロロはなおも俺に縋る。
こいつっ!
「わ、私は……」
「お前……いい加減にしろ!」
さすがの俺も怒鳴らずにはいられなかった。
「確かに、人間生きてりゃあ時には弱る時もある……。分かる。分かる……だがな、お前が今やってるのは、他でもねぇ!今までの自分を、そしてカルナリアちゃんを裏切る行為だぞ!」
「え……?」
どうして知ってるのか……そんなような表情だ。知るか!そんなもん!
「カルナリアちゃんも、俺も、俺以外のみんなも、そしてお前自身が!お前のことを信じている全てに対しての冒涜だ!ふざけんな!」
あぁ……これは果たして誰に向けた言葉なのだろう。全てが自分にブーメラン。
俺も裏切り続けた人生を送ってきた……クロロに比べれば、俺の方が年下なのは前世を合わせても同じ。だが、クロロと俺は違う。その違いは、たった一つだけだ。
「いつまで弱音吐いてやがる……。怖いなら逃げろ!戦う必要はない。嫌なら目を背けろ。見なくていい。辛いのなら、言え。弱音くらい吐いてもいい……だがな、いつまでもも喚くな!ずっとそうしてるってんなら、そんなのクソだ!無様な醜態をいつまで晒し続けるつもりだ!」
なんか自分で何言ってるか分からなくなってきた。
「なあ、お前がさっき見た過去の記憶……走馬灯を何で見たか分かるか?」
「走馬灯……過去の記憶……」
それは、クロロが妖狐を向こう側に押し込める前に見た夢……走馬灯、過去の記憶のことだ。あのとき、俺もクロロが見ていたものと同じものを見ている。それを俺が、クロロも見ていると知っているのは……あのとき、確かにそう感じたからという非論理的な確証でしかない。そのため、この際細かい説明は省く。
「見たんだろ?カルナリアちゃんが……お前の妹との記憶が、思い出が」
「……」
クロロはだんまりだ。だが、あれを見てクロロは復活した。クロロの中で再燃したはずだ……一度は。しかし、その炎は小さすぎた。直ぐに燃え尽き、支えを欲してしまった。ここで俺が、クロロを甘やかすなんて出来ないだろ……そんなことしたら、カルナリアちゃんが、悲しむ。
「お前の記憶を少しだけ覗いたから分かる……お前はカルナリアちゃんの憧れでいたかったんだろ?いや、いたいんだろ?だから、今も対等でいたかった俺まで頼っていつもの自分を取り戻そうと必死なんだよ」
「……」
「お前があの走馬灯を見たのは、妖狐に打ち勝つ打開策を探していたからじゃない。自分を取り戻す打開策を、探してた……だからピンポイントでカルナリアちゃんとの記憶が走馬灯になって浮かんだんだ」
「…………カルナ」
「ほら、さっさと立て。妹が憧れてるお姉ちゃんであり続けたいんだろ?」
「……」
クロロは俯き、俺から離れる。そして、俺はまた自己嫌悪……なんという盛大なブーメランだ。
自分のことは棚に上げて説教か……バカ丸出しだろ、俺。
俺は鈍感系じゃないから、気付いていた。俺なんかに憧れてくれていた女の子が……少なくとも二人いたことを。そんな二人にカッコつけられていない俺がよく言う……あ、いや。一応、名誉挽回はしているので、それで勘弁してほしい。雷帝の戦で!
今度こそ、俺が立ち去ろうとすると……クロロの遠慮がちだがしかし、先ほどまでの情けなさがなくなった声が俺の背中に投げられた。
「グレイくん……私を殴り飛ばしてください!」
「えぇ!?」
–––屋敷–––
「…………ちょっと長いわね」
「何か……問題があるの?」
セリーの呟き声にエキドナは直ぐに反応する。それと同時に、部屋の前の扉でソワソワしているソニア達の気配を感じ、エキドナはため息を吐いた。
セリーは少し目を細めて、口を開く。
「長時間、肉体から精神が離れているのは良くないわね。精神というのは不安定なもの……魂魄、魂が所謂精神であり、魄が所謂肉体……精神と肉体、二つでワンセット」
「でも、バートゥは精神体オンリーだったじゃない」
「あれは別よ。そもそも自然の超越者を引き合いに出さないでちょうだい」
それもそうだと、セリーの言葉にエキドナは肩を竦めた。
「精神が肉体から離れ、別の肉体に止まっているとその肉体には精神が二つあることになるでしょう?すると、肉体は精神を一つにしようと働くのよ」
精神を一つにしようとする働き……魂魄一致と呼ばれる現象である。その肉体の精神以外を排除する動きだ。
だが……、
「でもね、精神はそうじゃないわ。精神と精神……作りが同じものだから、精神同士は結びつこうとするわ」
「……?どうして?」
「簡単な話……完全なものになるため。人の精神は完璧じゃないの。脆弱に作られているのよ、神によって」
「宗教的な考えね。あまり、エキドナ好みじゃないわ」
「あなたは魔術師ですものね……まあ、いいわ」
完璧ではない精神は、より完璧に、完全になろうとする。向上心とでも言うのだろうか……とにかく、精神はそのようにより強くなろうとするのだ。
「精神結合と拒絶……どうしてそうなるか、というのは神がそのように私たちを作ったから」
「魔術的には、長年の研究テーマとされて数世紀も謎のままね……」
魔術的な仮説では、精神は単一では存在できないのではないかと言われ、肉体という箱の中でなんとか存在しているのだという。肉体は単一で存在が可能であり、肉体の許容量が精神一つであるために入りきらない精神が肉体から追い出される……というものがある。
まあ、結局魔術的な確証は何もないようだが……。
まあ、それはともかく……。
「精神と肉体で働きが全く異なるわけだけれど……はたして、どうなると思うかしら?」
セリーがエキドナを試すように訊ねると、エキドナは簡潔に答えた。
「……二つの精神は二つの肉体に戻る。けれど、精神と精神は繋がるのね?」
「その通り……神体一致と呼ばれるわ」
魔術的には、バーニング現象と呼ばれる。
この現象が起こると、精神が結びついた者同士は言葉を交わすことなく相手との意思疎通を可能とするらしい。 
とある冒険者のパーティーが、極限の戦闘中に発現させることがあったという事例がある。そんな極限状態で発現することから、バーニングと呼ばれる。
「フォセリオ……それを知っててこんなことを?」
「そんなわけないでしょう?ただ、『月光』の意識を叩き起こして魔力保有領域を閉めるだけの作業でこんなに時間がかかるとは思わないじゃない……」
言われてみれば、確かにそうである。
「中で……何かあったのかしら」
「そう考えるのが自然よね……」
「ちなみにフォセリオ……ご主人様とクーロンにバーニング現象が発現していたらどうなるのかしらね……」
「そうね……なんだかいつもとあまり変わらない気がするけれど……」
セリーの言葉にエキドナは目を細めた。
エキドナの人間観察力はズバ抜けている。そのため、芯がしっかりしていそうなクロロにも脆い部分があることをエキドナは分かっていた。
まあ、それがどんなものなのかは恐らくグレーシュしかしらないのだろうと……エキドナは考えていた。
「まあ!二人が神体一致したところで、特に大丈夫よ!多分!」
「そうね」
普段の二人がアレなので、精神が繋がったところで問題はないだろうとエキドナもセリーも思った。
–––グレーシュ・エフォンス–––
「…………」
「さぁっ!」
クロロは目をギュッと瞑って、今か今かと待ち構えている。何を血迷ったのだろうか、この女。
「いや、あれだよ?痛いよ?すごく痛いよ?かなり痛いよ?もうすんごいよ?いいの?痛いよ?」
「さっきグレイくんに痛めつけられた心より、絶対に痛くないです!」
遠回しに責められているのだろうか。
「いや、本当に真面目に真剣にガチで痛いよ?」
「なんですか!言葉の暴力は振るえても、手は出せないんですか!」
急に元気になったな、こいつ。
「言葉の暴力って……」
「いえ、分かっています。私がいつまでもウジウジとしている所為だということは……だから、殴り飛ばしてください!」
「……」
殴り飛ばす……まあ、さっき俺に依存しようとしていた時とは違うのは分かる。吹っ切れたい……いや、振り払いたいとでも言うべきか。
とにかく、過去と決別したいのだという気持ちが伝わってくる。クロロの覚悟が。
俺の言葉で再復活……というわけでもないだろう。俺はただ、自分が言いたいことをクロロに投げつけたに過ぎない。俺の言葉にクロロを労わる、励ます、立ち直らせよう、などという意は全く篭っていなかったのだ。
クロロが再起しようとしているのは、他でもない……カルナリアちゃんのためだ。あの走馬灯は、今にも砕けそうなクロロの精神が見せた再起するためのカギだったのだ。
「さぁ!!」
「…………」
依存したいからではなく、再起するために俺の手が必要ならば……協力してもいいだろう。都合がいいのかもしれないが……。
よ、よしっ……。
「いいか?手加減無しだよ?本気でいくからな?痛いよ?」
「はい!」
「あれだよ?歯とか取れるかもよ?そしたら痛いよ?マジ」
「は、はい!」
「しかも、もうお前の歯とか永久歯だから生えないよ?いいの?ちょー痛いよ?」
「……あの、ちょっと覚悟が揺らいできました」
(閑話休題)
「お、お願いします……」
「おう……はーはー」
俺は拳を温める。拳骨するわけではないが、なんかな。
「よし、歯ぁ食い縛れ!」
「……っ」
俺は思いっきりクロロの腹部を殴った。
「っ!?」
クロロはお腹を抑えて悶え、ごほごほと咳き込んでいる。
「か、顔……かと思いました」
うん……腹筋緩んでたもんね。
「ごめん。顔はなんか抵抗があった……」
「先に言ってくだ……さい」
クロロは生まれ立ての子鹿のように足をプルプルさせながらも、なんとか立ち上がる。精神体は肉体的なダメージは受けないが……痛みとかあるのかな……。
感覚があるんだから痛覚もあるのか……。
「で、目は覚めたか?」
俺が訊くとクロロが顔面蒼白状態で頷いた。
「……い、一応は。色々、吹っ切れたような気がします」
それは本当に気がするだけだと思う。
「まあ……トラウマなんてゆっくりと乗り越えていけよ。うん、俺もそうだったし」
「…………?グレイくんにトラウマなんてあったんですね?」
「まあ、昔……」
そんな感じに、普通に会話するくらいにはクロロが回復した。そうこうして、しばらく話しているとクロロが言った。
「本当にありがとうございます。グレイくんのお陰で、やっと自分を取り戻せた気がします」
「いや、俺じゃない。お前の力だよ……もっといえばカルナリアちゃん」
「ふふ……確かに、そうかもしれませんね」
「そうそう。俺は何もしてないよ」
「そうでしょうか?」
「うん」
サーっと風が駆け抜ける。今この場には、俺とクロロしかいない。風景はガラリと変わって、いつのまにか幻想郷とも呼べる世界に俺たちは来ていた。
「あれ?いつのまに……」
「まあ、精神世界ですから。風景なんて直ぐに変わります」
「ふーん」
一面が花畑……そんな幻想郷。
「あの、グレイくん」
「ん?」
少し遠慮がちなクロロの声に、俺は幻想郷の風景から視線を外す。クロロに目をやると、少しだけ恥ずかしそうにしながら、そっと右手を差し出してきた。
「これからも、宜しくお願いします」
そう言って、クロロが微笑む。
うん。
「宜しく……」
ちょっと気恥ずかしくなりながらも、その手を取ると、俺たちはどちらからともなく混ざり合い、溶け合い、結び付いた。
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