魔術的生徒会

夙多史

四章 悪魔の視力(11)

 巳堂が何か取り出した。
 例の蠱を入れておく小瓶だ。昼間に見たものより少し大き目で、封印の札らしき紙が何重にも巻かれている。
 だが、中身までは魁人には映らない。それは今の魔眼の状態でも変わらない。
 ――不思議な感覚だった。
 この眼に見える魔力の光が、何となく思い通りになるような気がしたのだ。まるで魔眼自体に知識があって、扱い方を脳に直接レクチャーしてくれるような、そんな感覚。
 だから、鈴瀬を苦しめている蜘蛛に消えてほしいと思った。そうしたら眼に強い力が感じられ、本当に思い通りになったのだ。
 そういえば、一昨日もこんなことがあった。貝崎に殺されそうになったあの時だ。
 魔力が見えるだけと聞いた時の違和感。その正体に今自分は触れている。
 ――この眼は悪い魔法使いを倒せるほど凄い――
 夢で聞いたことを自分の言葉に直したものだが、確かに凄いと思った。もしかしたらあれは魔眼が見せた夢で、父はそんなこと言ってなかったのかもしれない。
 とにかく、今の魁人は魔術師相手に負ける気がしなかった。
「ステージから降りろよ、巳堂。そこは観客席じゃないんだ」
 特に巳堂には絶対に負けない。負けられない。傍には先輩たちだってついている。
「なぁーにを言っているんですかぁ! 私はここでいぃーんですよ、主役ですから」
「巳堂先生こそ、今さら何を言ってるの? 蠱術は失敗に終わったのよ?」
 月夜は彼をまだ『先生』と呼んでいるが、そこには敬いの気持ちなど欠片も見当たらない。敬語じゃないのがその証拠だろう。寧ろその『先生』には皮肉めいたものを感じる。
「えぇーそぉーですよぅ! あなたたちのせいでめちゃくちゃです! ですが、それはあなたたちを術に組み込もぉーとした私の責任。よぉーって、あなたたちを、いえ、もうこの学園ごと殲滅することで責任を取らせてもらいます!」
 巳堂は小瓶の蓋代わりになっている札を剥がす――ことはしないで、そのままステージの上から勢いよく投げ捨てた。床に激突し、パリィン! と高い音を立てて小瓶は粉々に砕け散る。その瞬間、毒ガスのような紫色の靄がぶわっと噴き上がった。
「!? みんな、離れるんだ!」
 それを見た銀英の叫び。魁人たちは頷くこともせずに従い、体育館の中央線を越えた辺りで足を止めて振り返る。と、そこには塔が建っていた。
 否、塔ではない。そう思ってしまうほど、巨大な何かだった。
 ゆっくりと見上げていく。
 まず、茶色い毛に覆われた八本足の土台があった。蜘蛛としか表現できないそれは、その時点でブルドーザーのような巨大さを誇っている。
 次に、本来は蜘蛛の頭がある場所から黒いものが垂直に生えているのが見えた。それは心なしか人の形を――いやもう人間の上半身そのものである。ボディービルダーも霞んで見える筋肉質な肉体は、その巨大さと全身が影を物質化させたように真っ黒だったことから人間のものではないことはわかる。
 さらに見上げると、二つの血色に鈍く光る目があった。その上の禿頭からは、トリケラトプスのような三本の太い角が突き出している。
 一言で表すなら『鬼』だが、下半身は蜘蛛だ。ついでに言えば、背中にカラスみたいな翼が右翼だけ生え、左翼があるはずの場所には昨日見たような大百足らしき物体がうねっている。
「何だよ、あれ……やっぱり蠱なのか?」
 襲ってくる吐き気や恐怖を抑え込み、魁人は煌々とする魔眼であの怪物の魔力をスキャンする。すると、他の蠱と同様に、全身に隈なく行き届いている魔力の光を確認できた。それに、これも他と同じだが、魔力の核と思われる炎や光球は見当たらない。
「あれが魔獣を使った『蠱』だよ。まさかもう手を出していたとは思ってなかったねえ」
 怪物を見上げる銀英の頬に冷や汗が伝う。月夜や葵も、ヒーロー物にでも出てきそうな怪獣的存在を前に動けないでいる。それほどまでに危険な気配を――いや、もう見ただけで危険だと判断して脳内が警報を鳴らしている。
「あんなのに暴れられたら、学園どころか街ごと壊滅しちゃう……」
 最悪の事態を想像してしまったのか、月夜の声は震えていた。
「ここで倒す」
 葵は普段通りだが、そこに余裕は感じられない。
 すると、ステージの上の巳堂が堰を切ったように笑い始める。
「く、くく、はは、ははははははははははははははははははあっ!! どぉーですどぉーですか! これぞ私の最強の蠱にして最大の失敗作! 果たしてあなたたちに倒せますかぁ?」
「失敗作? やっぱり制御できなかったってことかい?」
 魔獣を使った蠱は絶対に制御できないから禁忌。銀英の言っていたことを魁人は思い出した。巳堂はどれだけの禁忌を破れば気が済むのだろうか。
「そのとぉーりです! しかぁーし、そんなことはどぉーでもいいんですよ! この失敗作は、置土産としてあなたたちにプゥーレゼントする――!?」
 その時、魔獣の蠱が動いた。
 声を張り上げる巳堂を鬱陶しく思ったのか知らないが、あの怪物は鬼の上半身を捻って血色の目に巳堂を捉える。
 巳堂は短く悲鳴を上げて怯えるように後ずさる。
「なっ、何、です。わ、私は主人ですよ! あなたの敵は向こうです! さ、さぁー、奴らを殺しなさ――――――」
 巳堂は、命令を最後まで言うことができなかった。
 怪物が大木のごとき巨腕をスイングし、クレーン車でビルを破壊するように巳堂ごとステージや壁を粉砕したのだ。
 一瞬だった。巳堂が何かを思う暇すらなかっただろう。
 ステージは抉られ、後ろの壁に穿たれた大穴からはすっかり暗くなった空が覗いている。腕のリーチが壁を貫通するほどあるわけではないが、衝撃で吹き飛んだのだと思われる。
 抉り取られたステージに、白衣の姿はない。外まで吹き飛んだのか、粉々になったのか、何にしても生きているとは思えない。
 魔獣の蠱にとっては耳元でうるさくするハエを掃っただけだろう。そして、奴にとってのハエは巳堂だけではない。次なる排除対象は目の前にいる魁人たちである。と――

 ヴゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 吠えた。空気を吹き飛ばすような超音波が体育館全体を振動させる。音波が衝撃となったのか、音源に近い窓ガラスは次々と割れ、壁や天井からはパラパラと細かな破片が落ちてくる。
 目眩がするほど強烈なハウリング。咄嗟に耳を塞いでいなかったら危なかった。意識のない生徒たちは大丈夫だろうか。
「みんな、大丈夫?」
 月夜はフラフラしながらも皆の無事を確かめる。
「ま、何とかねえ」
「大丈夫」
 銀英や葵、人間よりも聴覚が発達してそうなリクも問題はなさそうだ。魁人も大丈夫だということを月夜に伝え、銀英に一つ質問する。
「銀先輩、巳堂が死んでも蠱は消えないんですか?」
「いや、そんなことはないはず。あのバケモノがまだ残っているのは、制御下に置かれてないものは術者が死んでも消えないってことなんだろうね。もしくは、まだ巳堂が生きている、とか」
「巳堂が、まだ……」
 とてもそうは思えないが、生きているとすればありがたい。一発殴ることができるから。無論、そのためには眼前の問題をクリアしなければならないが。
「あれ、倒せるんですか?」
「難しいだろうねえ。あれだけ大きいと、僕らの攻撃が効いたとしても滅ぼすことは無理そうだ。放っておいても、数日は死なないだろうし……」
「銀くん、魁人くん、お喋りしてる暇はないみたいよ」
 月夜の深刻な声。あの怪物が、狙いをつけたようにこちらを見下していた。
「来る」
 葵が言った途端、八本の足が前進を開始する。背中のカラスの右翼が羽ばたき、百足がぐにょぐにょとうねる。出たばかりで体が思うように動かないのか、動きは意外にも鈍い。
(まずい)
 それでも、これ以上ここで暴れられると皆が危ない。生徒たち全員を担いで避難させるには、あまりにも人数が多すぎる。
 月夜たちではどうも倒せそうにない。ならば――
「俺が、やるしかない!」
 意を決し、魁人は怪物と対峙するように一歩前に出る。どれだけバケモノじみていても、あれだって『蠱』であることに変わりはないはずだ。だったら、鈴瀬や紗耶に取りついていた蜘蛛を掃った時のように、この眼で消せる。消してみせる!
 月夜たちは魁人の意向を汲んでくれたのだろう、三人とも何も言わずに見守っている。ただ何があってもいいように、月夜はチョークを、銀英は護符を、葵は短刀をそれぞれ握っている。
 意志を強く持ち、魁人はバケモノの巨大な魔力をその眼で捉える。そうしたところで、思う。
(――消えろ!)
 カッと見開くと同時に魔眼が青く煌めく。魔獣の蠱が動きを止める。
しかし――
「!?」
 バケモノは、バケモノの姿のままでそこに健在していた。
「き、消えろ! 散れ! 捻じれろっ!」
 声に出すことで意思を明確化させるが、言葉を連ねるごとに魔眼は煌めくものの、どうしても蠱を消滅させることができない。
(まさか、魔眼が元に戻ったのか? それとも思うだけじゃダメだったのか?―― いや違う)
 蠱の魔力は間違いなく歪んでいた。それが見えていた。だが、歪んだ箇所はほんの一部、すぐに復元してしまった。
「あいつが……でかすぎるんだ」
 巨大且つ強大な魔力の塊を動かすには、魁人の意思や力はちっぽけすぎたのだ。蠱術で魔獣を禁忌としているのは、絶対に制御できないから。つまり、制御できないほど強力なものができてしまうということだ。
 自分ではあれを倒せない。消すことができない。せっかく『悪い魔法使いを倒せる力』を手に入れたのに、肝心な時に意味がなくなった。
どうしようもない絶望感が魁人を襲う。
 と、魔獣の蠱が唸り声を上げる。背中の翼を揺らし、百足をくねらせ、まるで今しがた自分の身に起こった些細な違和感を確認するように腕を回す。そして動けることを知った途端、魔獣の蠱は蜘蛛の足を這わせて移動を再開しようとし――
 ――超特大のルーン陣に取り囲まれた。
 次の瞬間には、純白の光糸が無数に陣から飛び出し、魚を網で捕えるようにその巨躯を強く拘束する。
「大丈夫、魁人くん? もしかして魔眼の調子が悪いの?」
 月夜が心配を含んだ優しい声をかけてくる。彼女はあれを囲むほどの巨大な陣を描いたのだから、残りのチョークは全て使い果たしているかもしれない。
 魁人は忌々しげに蠱を睨め上げ、
「たぶん、違います。あいつ、でかすぎて俺の魔眼が効かないんです」

「だったら、少し弱らせればいいんじゃない?」

 その声と同時に、数枚の札が紙にしてはありえない速度と正確さで宙を駆けた。それが蠱へと貼りつく寸前、札が岩塊の槍へと変化して鬼の上半身に突き刺さった。血のような黒い液体がそこから流れ出る。
 悲鳴のような咆哮が上がる。しかし、魔獣の蠱にしてみれば岩塊の槍など爪楊枝にも等しい。そんなもので殺されるはずもなく、拘束を解こうともがき始める。そこへまた護符が飛び、糸に絡まれながらも暴れようとする腕にピタピタと貼りつくと、両腕合わせて計六回の爆発が動きを禁じた。
 槍や爆発で輝く糸が切れるのではと思ったが、ルーンの魔術はルーン文字が生きているかぎり有効。糸での拘束も持続されたままである。
「いやぁ、動きが鈍いってのは助かるね。巳堂が失敗作って言ったのはただ制御できないからってわけじゃなかったみたいだ」
 いつもの爽やかなのにどこかニヤケたように見える笑みを浮かべる銀英。余裕とは違うが、そこには勝機が見えているようだった。
「リク、〈絶氷の息吹〉」
 葵の呟くような指示。リクはそれに『がうっ!』と答え、蠱の顔面に向けて絶対零度の白い息を吐き出す。束縛されている蠱にそれを防ぐことはできず、直撃して頭部付近に霧のようなものが発生する。
 それを認め、魁人よりも前に出ていた葵は振り向く。
「協力して、倒す」
 相変わらずの無表情だが、確かに彼女の言う通りだろう。自分はあれを倒せる可能性を秘めた眼を持っているが、強大すぎる力の前では無駄に等しい。生徒会魔術師はあれを滅ぼすことこそできないが、力を削ぐことならできる。
 希望が、見えてきた。
 が――

 ヴゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 凍っていると思われた頭部から再びあの超音波が発せられる。
 割れていなかった窓ガラスがガタガタと揺れ、魁人の全身にはビリビリと痺れるような感覚が行き渡る。
 今度は、耳を塞げなかった。周りの音が何も聞こえなくなり、頭がくらくらして意識が途切れそうになる。たまらず膝をつく。月夜たちも、同じように跪かされていた。
このまま気を失うわけにはいかない。意識を強く保ち、魁人は前方を睨む。
 魔獣の蠱の頭部は凍ってなどいなかった。それどころか、今の音波の衝撃でルーンが吹き消えて輝く糸が消失し、自由になった腕で突き刺さった岩塊の槍も抜いていく。
 全てを抜き終わると、今度はこちらに向けて大口を開けた。その奥に、赤い輝きがあるのを魁人は見た。
(何を――)
 するつもりだ、と思いかけた瞬間に答えを知る。魔獣の蠱は、その大きく開いた口から火炎を吐き出したのだ。
 迫りくる灼熱の吐息。月夜たちはまだ動けないでいる。
「くそっ!」
 思いっ切り目を見開いた。すると、魔眼の煌めきに合わせて火炎放射は根元から四方に爆ぜて消滅する。まだ、あの程度なら魔眼は有効のようだ。
 だが、今のは防げても、本体を消せないことには意味がない。
 炎は効かないとわかったのか、やはりゆっくりとした、しかし先程よりも速い歩行で魔獣の蠱が迫りくる。
 絶体絶命、いや、もう終わりだ。
 そんなことを思ってしまった。思ってしまうと、全部諦めてしまう方向へ思考が走ってしまう。ダメだ、と抑制しても、絶望の念は止まらない。
 そんな時だった。

「まったく、うっさいのよアレ。目が覚めちゃったじゃない」

 背後から、不機嫌そうな少女の声が聞こえてきたのは。

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